児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.9 |
皆が待ち望んでいる春。短かった日照時間が徐々に伸びていくのがとても嬉しい季節です。 〈イースター〉 今年はイースターは5月1日だった。イースターはお正月に続く、ロシアの一大宗教イベントだ。イースターの3日前の「きれいな木曜日」と呼ばれる日に大掃除と卵の色付け、イースター用のパンケーキを作り、土曜日に色付けした卵とパンケーキを教会にもっていき、聖水をかけてもらう。今年はゴールデンウイークと重なったので、モスクワ市内でイースターを迎える人よりもモスクワ郊外のダーチャに行った人たちが多かったように思う。 土曜日の深夜から教会のお祈りが始まり、午前0時にキリストが復活し、イースターになる。 イースター前の7週間は大斎期で、生臭いものを食べない人が多くなるので、この時期はカフェやレストランで大斎期用の肉やチーズ、バターを使わない特別メニューが現れる。 モスクワ市内もイースター市や、飾り付けがされ、とてもきれいになる。 〈道なき道を行くロシア人〉 生活していて面白いなと思うのは、ロシア人の「道なき道をいく」性質だ。何事もロシア人は抜け道を探すのが上手だし、必ず何事(ビジネスも法律も各種手続きなど)にも抜け道があるのだが、道にも必ず近道をつくる。写真のようにカーブになっているところには舗装されている道の横に必ず、直線の道をつくる。柵があっても、いつのまにか穴をあける。 面白いなと思う。 〈5周年コンサート戦勝記念日〉 3月には「東日本大震災5年メモリアルコンサート」が「ドム・ムージカ」というコンサートホールとしてはとても栄誉ある場所で行われた。ロシアで日本でも活躍されている歌手の天野加代子さんによるコンサートで、500人ぐらいのホールが満席だった。加代子さんのほかにもロシア人のヴァイオリニスト、琴、120名からなる合唱団、日本からはピアニスト、バレリーナなど、とてもよく考えられたプログラムだった。そして、出演者全員が心から追悼の意を表し、観客にもその心があった。天野さんは日本の歌もたくさん歌ったが、故郷の大切さ、美しさをうたう歌声は日本語が分からない人たちの心も打っていた。故郷から遠くに行かなければいけなかった人たち、故郷が津波で破壊されてしまった人たち、人生で築いたもの、家族を失った人たちの悲しみはいかばかりだったかということを再度認識した。私も故郷から遠く住んでいて、日ごろは忙しさにかまけて寂しいなんて感情はもうないと思っていたが、天野さんの歌を聞いて、「あ、本当は寂しかったんだ」と気付かされた。 ここ10年ぐらいで一番いいコンサートだった。 〈大学の卒業生〉 4月には、去年の卒業生が文部科学省の国費留学生として日本に飛び立った。日本語を初めて三年半で日本語能力試験のN1に合格した努力家の女の子だ。 教師として、とても誇らしいのだが、反面、近くにいなくなるのが寂しいような複雑な心境だった。最初の一か月はやはり、少しホームシック気味だったが、今では、日本の生活をとても楽しんでいる。 その子のお母さんとも話したが、娘が日本に留学してから、周りの人に「よく留学を許したね」と頻繁にいわれるそうだ。確かに親としては遠い国に子供が行くのは寂しいことだが、子供が自分で努力して、国費留学生の切符を手にしたのに、それを親のエゴで反対するのは違うだろうねと話していた。 これから、研究生、大学院生と日本での勉強が続くが、自分の研究を進めて、心豊かな留学生活を過ごしてほしい。 〈5年生の保護者会〉 ロシアの5年生は日本でいう中学一年生。保護者会では担任の先生の教室に集まり、いろいろな教科の先生が来て、みんなの前で、個人の総評をする!他の学校の子供の親に聞いてもみんな同じといっていた。教科によって、褒められるものと注意されるものがあり、他の子供たちの傾向もわかる。一年生からずっと一緒なので、親もこどもたちのことを大体知っているが、みんなの前でいわれるのは少し恥ずかしい。息子はどの先生にも「急いでいる」といわれた。確かにいつも早くやればいい、と適当にやっている!!!怒 クラスには今年から孤児院からの子どもが入った。養子にもらった両親が最初の保護者会であいさつをしてくれた。大多数のロシアの孤児院は子供が過酷な環境に置かれることが周知の事実なのだが、やはり、今までの生活環境のルールと今の生活環境のルールは全く違うので、子供たちの中で衝突が起きている。ただ、大人たちが全員理由を知っているので、子供たちに、彼が今までおかれてきた状況を説明し、理解をもって接するように各家庭で話すように言われた。確かに、小さい時から無条件に愛してくれる大人が欠落していることは、子供にとっては大変な悲劇だと思う。社会の中で養子制度が盛んになってきているので、こういう問題もこれから増えていくと思うが、大人の庇護にいれる子供時代をすごせる子どもが増えることを祈っている。 夏休みは5月23日から。今年は制裁とルーブル下落のせいで外国旅行に行く人はさらに少なくなると思います。今、ロシアで一番人気の旅行先はグルジア! 夏はダーチャに行ったり、海のあるところにいったりして、みんな9月からの英気を養います! |
児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.8 |
ロシアの冬はつらいです。日照時間が短いのは、なぜかとても疲れます。ロシアの夏休みが長いのは、冬に向けてエネルギーをためるための昔からの知恵なのかなとも思います。朝は10時近くに明るくなり、夜は4時には暗くなります。 〈ヨールカ祭〉 冬の楽しみの一つは、多くの劇場で行われる子供向けのクリスマス用の劇であるヨールカ。チョコレート菓子のお土産付き。今年、娘は、クラスで人形劇場、家族でアイススケート、おばあちゃんとオペラ劇場のくるみ割り人形オペラ版、猫劇場のクリスマス劇にいった。12月のチケット売り場はとても混んでいる。10月のチケットが発売されてすぐに買うと行列は少ない。ヨールカは新年前の気分をとても盛り上げる。 ロシアのクリスマスは1月7日で、24日、25日のクリスマスイブ、クリスマスはさらっと過ぎるので、12月下旬から始まるヨールカが新年へのカウントダウンになる。ヨールカ祭は、必ず劇の最後にマロースおじいさんと雪娘ちゃんが現れて、クリスマスツリーに明かりをつけ終了する。 ロシアで最も大切な祭日はお正月。家族へのお正月プレゼントはみんなとても張りこむ。お正月前の最後の土日は親しい人たちへのプレゼントを買うために街は大渋滞する。ロシアの人はお世話になった人たちへもプレゼントを欠かさない。私は、家族以外は子どもたちの担任の先生、同僚の先生、生徒さんたち、家の管理人さん、友人たち、ママ友たちにプレゼントを用意する。そして、最後に会うときに来年の幸せをお互いに願いあいながら、プレゼント交換をする。日本でいうお歳暮のような感じかな。 〈学校の習い事〉 学校では無料の習い事がある。5年生の息子はバスケットに週二回、サッカーに週二回、ダーツに週2回通っている。 ダーツはマイナーなスポーツだと思ったが、意外と盛んで、11月12月はほぼ毎週末に試合があった。やっている人は面白いようだが、見ている人はあまり面白くないように思う。面白くないのは初心者の部を見ているからかもしれない。 バスケットは学校対抗の試合にもでる。試合時期は少し授業を早めにひきあげて、体育の先生に連れられ、いろんな学校に行っていた。学校のために試合に行っているということで、体育の成績は気持のいいぐらい「5」がならんでいる。 バスケットの先生とサッカーの先生はスポーツ学校から来てくれている。 〈大学のセミナー〉 私の所属する露日センターは日本語のほかに、ロシア人の先生2人から、「日本のマスコミ」「日本の歴史・政治・社会学」を学んでいる。 その中で、日本をよりよく知るためにロシアで活躍する日本の方や企業の方を招いてお話をしてもらっている。 去年は秋から冬にかけて、日本航空モスクワ支店の社員の方たちによる「日本のおもてなしプレゼンテーション」と、ボリショイ劇場のバレエダンサー元ソリストで、現ウラン・ウデ ロシア国立劇場の芸術監督の岩田守弘さんよりお話を聞く機会を得た。 どちらもロシア語で行われた。 日本航空の「おもてなしプレゼンテーション」は、ロシアの企業向けにも行われている講演で、日本の裏表のないおもてなしの心を科学的な統計から、例から、故事から丁寧に説明し、日本のお客様を大切にする心を伝えていた。日本に興味がない人も日本に興味を持つだろうというような素晴らしい講義で、今後毎年来て頂けたらいいなと思う。センターに関係のない学生たちにも多くの感銘をのこした講義だった。 岩田さんは、ロシアで努力し、認められた方なので、お話は大変興味深かった。私がモスクワに留学したのが1994年。ちょうどそのころに活躍され、その当時はボリショイのチケットも安かったので、舞台もなんどもみたことがあった。まだ混乱のあったあの時期のロシアのバレエ最高峰ボリショイ劇場で、自分の才能と努力で大きな役を得、観客からも絶大な人気があったバレエダンサーだ。踊りは素晴らしく、岩田さんに向けられる拍手はとても大きかった。自分で選んだ道とはいえ、いやな気分になることもたくさんあった時期に、岩田さんのご活躍にとても励まされた記憶がある。学生たちも岩田さんのロシアでの頑張りにとても感銘を受けていた。 このような講義は日本をいろいろな面から見れ、日本への一層の興味を促すので、露日交流としてもっともよい形ではないかと思う。 〈大学の試験〉 ロシアでは12月の最終週から1月下旬まで試験期間だ。この時期、学生たちはとてもとてもナーバスになる。試験は口頭が多いので、時間もかかる。ナーバスになるとどういうことが起こるかというと、ちょっとしたことで、泣く子が多くなる。そして、夜遅くまで勉強するせいか、顔色も悪くなる。私の日本語の授業中にも泣き出す子もいる。毎学期のことなので、とりあえず、授業中はスルーするが、授業後に話を聞く。ただ単に、若くてかわいいなと思う。この時期、私は、「ああ、私は年を取った!」と思うことが多い。それは、そういう感情の起伏は若い時特有のものだと思うからだ。実は、いまだに試験前に何も勉強してなくてどうしようという悪夢をみることがある。ああ、もう学生じゃなくてよかったと負け惜しみのように思う。笑 だんだん日も長くなり、春になるとダーチャに畑や花壇を持つ人たちは頻繁にダーチャに行き始めます。でも日が短かった分だけ、春はみんな力がない時期で、夏休みだけを楽しみに生きています。 |
児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.7 |
ロシアで「秋」は、新しい生活が始まる季節です。入学、進学で、夏の間止まっていた生活が動き出します。 〈入学式〉 この秋、娘が一年生になった。伝統通りに担任の先生にプレゼントする花束を持ち、学校の入り口の前に整列する。1年生から4年生までの初等科が一番最初に学校に集合し、列をつくる。校長先生の短い話のあと、一年生は最上級生の11年生に手を引かれ、校内のホールにむかう。一年生の保護者だけ式場に入ることができる。ホールには1年生から4年生までが集まり、校長先生のお祝いのあとは、一年生代表による詩の朗読、在校生によるコンサートがはじまり、11年生が一年生の女の子を肩に乗せ、ベルを鳴らしながらホールを一周する「最初のチャイム」で締めくくられ、1時間ぐらいで終わる。静粛な様子はない。保護者も正装ではなく、ジーンズで来ても場の雰囲気は損なわれない。 入学式のあと、一年生たちは、これから勉強する教室に入り、少し先生のお話を聞いて、解散する。お昼ごはんを家で食べた後は、サーカスに行く。モスクワ市中央区は区内の新一年生へ、毎年サーカスのチケットをプレゼントしている。新一年生バージョンで、一時間程度のいつものサーカスの半分のショーだが、一年生になったという気持の高揚は子供たちにとって、抑えがたいもののようで、いちいちリアクションが大きく、心から楽しんでいる様子がうかがえた。夜は家族や親せき、友人が集まって、一年生をお祝いする。 〈はじめての入院〉 入学してから10日目、娘が走ってきた同級生とぶつかり、鼻の骨が折れた。これにより、ロシアの入院事情もよくわかった。 ロシアでは病院は大人と子どもにはっきりわかれている。病院自体がちがう。これは入院用病院も、一般病院も同じだ。 入院は5日間。小児病院の耳鼻科に入院した。驚いたのは、日本のように毎日お見舞いにきてはいけないということ。娘が入院した病院では火曜日と木曜日の16:00〜18:00の二日のみ。4歳以下は保護者の付き添いが許可され、その他、手術の日も朝から付き添いが許可される。娘は6歳なので、先生と相談して、毎日16:00から20:00までの面会を許可してもらった。許可には肺のレントゲンが必要で、院内で、有料でレントゲンを撮り、申請した。 興味深かったのは、看護婦さんの仕事が日本とは違うこと。看護婦さんは医療にだけ携わる。食事は、耳鼻科にある食堂のおばさんが呼びに来たり、運んだりする。シャワーは、自分でいかなければ、ずっと行かないままだ。同室の他のお母さんが面倒を見てくれたりする。 手術の日は、朝から年齢順に手術が行われていた。主に蓄膿症と骨折の手術で、心配したが、とても簡単な手術と説明を受けていたし、何日も病院にいて、毎日これだけ出術をしていれば、お医者さんは上手なはずだと自分に言い聞かせた。麻酔もしたのでかわいそうだったが、うまくいってよかった。娘は一人で5日間も病院で過ごしたことを自慢に思っている。 国立の病院なので、治療は無料だった。 〈中学生〉 息子は5年生になった。5年生はロシアでは中等科となる。初等科と何が違うかというと、自分たちの教室がない!!!少し大人になり、定住地を持たないハードボイルドの世界へ突入した。 中等科になると全教科が専門の先生になる。朝は一時間目の先生の教室に行き、6時間目まで教科ごとに教室から教室へと放浪する。昼休みもないので、授業は14:05には終わる。 英語は中等科からは毎日ある。一クラス28人で、英語の時はクラスを半分に分けて、2人の先生が別々の教室で教える。英語は小学校2年生から始まった。2年生から4年生までは週3回授業があった。それで果たして、英語がみんな上手かというと、それは大きな疑問だ。クラスの半数は週2日程度、英語の家庭教師とまた別に勉強している。 英語のほかには、ロシア語、文学、数学、地理、生物、歴史、音楽、体育などがある。 〈大学〉 10月にはセンターにも新入生が入った。今年は15人からスタート。ジャーナリスト学部は女の子が大多数なのだが、今年は男の子が2人も入った!大変な偏見だと思うが、男の子は勉強しないというイメージが私にはあった。一人は偏見通りだったが、もう一人は見事に私の「期待」を裏切ってくれた。今では期待の新星だ! センターに入るときには学生を必ず一人ずつ面接するが、なかなか皆、バラエティーに富んだ性格で面白い。ただ、面接のときに日本語を勉強したい理由が「将来仕事に役立つかもしれないと思うから」という答えた人で、続いた人はいない。語学はコツコツ地道に努力できないと習得できないと思う。反対に、ちゃんと勉強して日本語を習得する人で多い志望理由は「日本が好きだから」だ。これから、どんどん日本語が上手になってくれることを祈る。一緒に悩みながらも楽しんでいきたい。 そして、ここ半年ぐらい前から、大学のカフェに「おにぎり」があらわれた。 具はシーチキンや鮭、フィラデルフィア(チーズと鮭が入っている)などがある。おかかと梅干しはない。試しに買ってみたら、お皿と醤油がついていた。どうして醤油がいるのかわからなかったが、聞いてみると、醤油をかけながらおにぎりを食べるのがロシア風ということだった。面白い! 冬はロシア人にとって一番のイベントであるお正月があります。大学では前期試験もあります。 日も短く、暗いので憂鬱になる季節です。 |
児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.6 |
夏 2015 今年は夏がなかったと言われています。 寒いぐらいの日が続き、日焼けがステイタスのロシアの人たちは、困ったことでしょう。 3ヶ月の夏休みも終わって見るととても早いものです。 〈 ロシアの学校の良いところと悪いところ〉 息子の言葉によると、ロシアの学校の良いところは、夏休みが長いことだ。 今年も5月23日から、休んでいる。しかも、これといった宿題もない。読んだ方がいい本のリストはあるが、必ず読まなければならないという義務はない。登校日、プールの日などもない。モスクワでプールがある学校なんて、スポーツ学校以外にあるのだろうか。 悪いところは、成績がほぼ毎授業つくことだ。成績ノートとネット上の成績表で評価を確認できる。毎日の評価の積み重ねが、学期末、学年末の評価に結び付く。これは、親にとっても、子どもにとっても、結構なプレッシャーになっているように思う。 〈夏のキャンプ〉 この夏、10才の息子が初めてキャンプに参加した。期間は、2週間。長いように感じるが、夏休みが3ヶ月のロシアでは、2週間のキャンプは、最少遂行期間だ。通っているテニススクールのキャンプに行った。面会日は、日曜日、一回のみ。しかも、キャンプがあったモスクワ郊外の宿泊施設は、携帯電話の電波がものすごく通じにくいところだった! この宿泊施設は、ロシアで、休息の家と呼ばれるもので、私たちのグループの他に、空手や、柔道のグループ、普通のサマーキャンプのグループなどたくさんの子どもで大盛況だった。 スケジュールは、朝、8時起床、点呼、体操、朝食と続き、2時間のテニス練習、練習後1時間の水泳、昼食、休憩、1時間半のテニス練習、別のスポーツ練習、夕食、散歩、10時就寝だ。 テリトリーは、広大で湖と森に囲まれている。テニスコートは、もちろん、体育館、プール、バドミントン、ビーチバレー、サッカー場などもある。 3人一部屋という部屋割りで、キャンプにおけるロシアのスタンダードなイタズラを知ることができた。それは、歯みがき粉を使ったイタズラ。寝てる子の顔に歯みがき粉で絵を書いたり、スリッパにいれたりする。これは、ソ連時代からの伝統的なイタズラだそうだ‥‥‥。 初めて親元を離れ、親の方がドキドキした2週間のキャンプだった。成長したと言いたいところだが、実のところそんなに変わってないじゃないかと思ったのは、いつまでも親の近くにいてほしいという叶わぬ願いをもってしまう親心のせいなのだろうか。 息子と同室だった13才の男の子は、テニスキャンプのつぎは、一ヶ月のイギリス語学キャンプに行った。 〈ダーチャ〉 夏といえば、ダーチャ(森の家)のシーズン。ロシア人にダーチャに招待されると、それは、大分気に入られているか、親しい友人と認めているかどちらかだ。ロシア風バーベキューのシャシュリクもできるし、モスクワでは、不可能の庭付き一戸建てだし、楽しいこともたくさんある。ただし、モスクワ郊外でのダーチャの需要は高く、計画性もなくダーチャは増え続けているので、年々交通渋滞がひどくなっている。反対に6月、7月、8月は、モスクワ市内の交通量は、がたんと下がる。 親は連続では、2週間ぐらいしか休めないので、おじいちゃんおばあちゃんがダーチャに孫を連れて行って、面倒をみる。以前と違って、生活のためというより、趣味で野菜を作る人が増えている。沢山とれた野菜は、ロシアの漬物にしたりして、親戚、友人にあげる。蜂を飼って、蜂蜜を作る人も珍しくない。ベリー類、庭になるリンゴやプラムやなどの果物で作るロシア風ジャムは、絶品だ。最近のダーチャは、おいしい! いよいよ、新学年が始まる9月。次回は、入学式のことをリポートします! |
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児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.5 |
「春2015」
最近モスクワでは、春がない気がします。寒かったのに、すぐ暑くなったり、暑かったのに、すぐ寒くなったり。そして、4月中旬からは白樺の花粉が舞い始め、花粉症に苦しむ人がたくさんいます。 〈イースター〉
マースレンニッツァから7週間の大斎期を経て、今年は4月12日がイースターだった。 イースターは必ず日曜日で、その前の木曜日には、必ず大掃除をする。「清潔な木曜日」と呼ばれ、卵に色を付けたり、イースターパンを焼いたり、パスハと言われるコテージチーズで作るものを作ったりもする。そして、イースターの前日の土曜日は教会に木曜日に作った卵やパン、パスハに聖水をかけてもらいに行く。聖水かけは、ほぼ15分おきぐらいに、朝から夕方まで行われる。夜12時になると、キリストの復活を祝う十字架行進が行われ、イースター当日の昼12時にも行われている。御祈りの歌を歌いながら、教会の周りを一周する。お年寄りから赤ちゃんまで参加する人はとても多い。イースターはお正月に次ぐ、ロシアの大きなお祭りだ。ご馳走を作り、親戚が集まり、卵を交換し、お祝いする。今年はモスクワのあちこちの広場で、イースターにちなんだ催しものが行われていた。イースターのあとは、新年の時のような新しい気分になれる。 〈戦勝記念日〉
5月9日は戦勝記念日だった。最近の愛国主義傾向と70周年というのも重なって、とても盛大に行われた。戦勝記念日前には学校や幼稚園でコンサートや軍の銅像の前で献花が行われた。今年目立ったのは、бессмертный полк 「不死の連隊」というデモ。一般市民がそれぞれ、亡くなった自分の祖父母の写真を掲げて「忘れない」という意味を込めて、サハロフ博士大通りから赤の広場までを行進した。50万人が参加したそうだ。別の日には学校でも、祖父母の写真を大きくし、看板にして、学校の周りを歩いたらしい。今回の戦勝記念日はとても盛大だったので、赤の広場でのパレードのリハーサルが2回あった。リハーサルの時は、戦車やミサイルなどが通るので、モスクワの中心部は通行止めになるところが多い。トベルスカヤ通りや、環状線の一部も通行止めになり、ボリショイ劇場の前、下院の前や、ルビャンカ通りも通行止めになる。赤の広場に近い地下鉄駅も封鎖された。 ちょうど最後のリハーサルの日は、一講目が授業だった。うっかり、リハーサルのことを忘れていた私は、普通20分で学校に着くところを1時間かけてやっと着いた。自転車でいっているので、細い道をうまく通り抜けながら、やっと出口を見つけた。最後の関門では大学の証明書を警察に見せ、大学までたどり着けた。学生の一人は、リハーサルのことを考え、朝6時に大学に来ていた。日本人のような用意周到さ!と感心した。本当に大変だった。朝早く出てよかった! 他に気になったのは、街のあちこちでテントを張って売られていたプーチンTシャツ。「僕はプーチンの友達」と書いてある。ノーコメントでいきたい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 〈卒業式(幼稚園)〉
5月の第4週は卒業シーズン。娘も卒業式を迎えた。発表会と同じで卒業式も園のホールで別の年長さんグループと合同でした。卒業式といってもコンサート形式で、発表会と同じ。歌あり、踊りあり、詩の朗読あり、ゲームありの1時間。普通の日の朝にするので、都合のつく親は行くし、都合がつかない親はいかない。子どもたちはドレスコードだが、親たちは適当な恰好。1時間のコンサートの後、幼稚園のお庭に出て、皆で風船をとばした。みんなで一斉に飛ばして、風船が青い空に吸い込まれていく様子を子どもたちは嬉しそうにみていた。そして、保護者は皆帰り、子どもたちと先生たちでパーティーが行われた。ダンスをしたり、ゲームをしたり、保護者会で買ったお菓子を食べたりして楽しく過ごしたようだ。そう、この日の準備をする保護者会は大変だ。事前に卒業式用のお金を集金し(約1万円を支払った)、子どもたちへのプレゼント、先生たち:担任の先生2人、言語治療士の先生1人、クラスに一人ずついる配膳・掃除担当の人、音楽の先生、体育の先生、保健の先生、給食室の方たち、事務の人たちへのプレゼントの用意、グループにいる先生4人への花束の用意、子どもパーティーでのお菓子の用意、クラスの飾り付けの手配、ホールの飾り付けの手配をしなければならない。娘のグループは一人のお母さんが担当してくれ、仕事を持つ中、完璧に準備してくれた。ありがとう! そう、それから私がロシアの幼稚園でおどろいたことは、音楽の先生と体育の先生が別にいること。ロシア人に言わせると、音楽と体育には別の能力が必要だから当たり前とのこと。確かに一理ある。 〈卒業式(学校)〉
息子も初等科を卒業した。ロシアは一貫11年生教育で、4年生を終了すると、初等科を卒業ということになる。初等科を卒業すると何が変わるかというと、担任の先生が代わる。クラスはそのまま持ち越しなので、クラスメイトは変わらない。担任の先生が代わるのは11年間でこの時だけだ。そして、初等科では英語と音楽と体育と図画工作は専門の先生達が受け持っていたが、5年生からは全ての教科が専門の先生となる。最後の保護者会では、各教科の受け持ちの先生が教室に来て、自己紹介と教科紹介をしてくれた。 初等科の卒業式は各クラスで行われる。この卒業式もまたコンサート形式で、学校のホールで最初はA組がやり、1時間後にB組がするという形式。息子たちのクラスの卒業式はフラッシュモブから始まり、ニュース形式で劇があり、個人の踊りがあり、詩があり、歌があった。その後、校長先生の話、クラスの保護者代表の話、担任の先生の話があり、卒業証書をもらって、記念撮影をし、お開きとなった。時間がたつのは早いと主にお母さん、おばあさんたちが感激して泣き始めた。あっという間に、こどもはどんどん自分の広い世界をつくっていって遠くにいってしまうのだなと少しセンチメンタルになった一日だった。 少し自慢になってしまうが、私はとても運がいい。息子と娘は4歳違いだからだ。だからどうして?とお叱りを受けそうだが、息子が5年生になると、娘は1年生。これはロシアではとても幸運なことだ。ロシアでも学校を決めるのはとても難しいことなので、4歳差だと、上の子がお世話になった先生に下の子を預けることができるからだ。ロシアでは1年生の担任の先生は選べる!ということで、またあと4年間、娘が息子の担任の先生にお世話になることになる。 〈大学の試験〉
5月の下旬は試験の時期。センターの卒業生の三年生(実際には4年生。2年生からしかセンターで勉強できないので)は国費留学のテストにむけての準備があるし、3年間頑張ってきた実績もあり、日本語の実力も日本の大学院で勉強できるぐらい高いので、簡単なテストで終わらせた。きっと将来、日本とロシアの懸け橋になってくれる人になるだろうと期待している。一つの国の言葉をしっかり勉強することは、その国の歴史、文化を知ることになり、その国を好きになることだと思う。その国の良い理解者になることだと思う。 1年生にはみっちりしっかり試験をした。1年間勉強して、グループ内でも大分差がついてきたと思う。この差は決して頭の良さの差ではない。5か国語を話せる知り合いは「言語習得はお尻で行う」と言っている。つまり、座って勉強している時間が長ければ長いほど、言語習得への道が近いということらしい。語学を教えていて、この言葉にとても納得している。上手になる子は、宿題はもちろんのこと、それ以上の勉強を常日頃からしている。そして、それでも勉強量が足りないと思っている。 試験の後、センターでちょっとした事件があった。試験で一番点数の多かった学生は、夏休みに日本に10日間交流事業の一環でいくことが出来、2番目の子は日本の会社にインターンシップとして行けることになっていた。事件はインターンシップのことで、3番目だった子が、「私が日本の会社に行きたいと頼んだから、2番目の子は私に譲らなければいけない」と言い出した。本気で揉め事になっていたが、私はこの事件で自分が年を取ってしまっていることを実感した。3番目の学生の言い分もこどもっぽいし、2番目の学生がそういわれて泣いているのも「若いなあ」と感じた。センター長がもう一社日本の会社にインターンシップをお願いすることで決着したが、私たちは同世代なので、「幼稚園みたいだね。ははは」と笑って事件は終わった。 ロシアの学校の夏休みは3か月間あります。ダーチャ、子どもキャンプなど、保護者達は子どもの夏の過ごし方で頭が痛い時期です。 児玉直子 |
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児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.4 |
ロシアの冬は暗いです。でもたくさんの祭日があるし、劇場はどこも開いているし、スケートもクロスカントリースキーもできるし、楽しく過ごそうと思うと、とても楽しく過ごせる季節です。ただ、社会の経済不安が日に日に高まっているのは、ショッピングセンターでテナントが去っていること、物価が徐々に上がってきていること、地下鉄などでスリがおおくなってきていることなどから感じられます。4月ぐらいにより強く経済悪化が目に見えるようになると言われています。 〈ヨールカ祭〉 ヨールカ祭とは、クリスマス会のこと。12月から、学校の休みが終わる1月中旬ぐらいに行われる。12月に入ると、モスクワ中の劇場はクリスマスバージョンの劇を見せ始める。劇場を持っていない劇団は、ホールを借りたりなどして見せる。クリスマスバージョンの主な特徴は、
1.サンタクロースと雪娘ちゃんが出てくる。 2.子供用のお菓子詰め合わせの有料チケットがある。 3、クリスマスに関係するお話が多い、 である。 ボリショイ劇場など、バレエ劇場のこの時期の演目は、もちろんチャイコフスキーの「くるみ割り人形」。ボリショイ劇場は約2か月前にチケットを売るシステム。
新年のチケットは10月に売られ、それに並んでみた。去年はネット発売と窓口発売が同時だったが、今年は9時から6時までは窓口発売で、6時からネット発売だった。 モスクワでボリショイ劇場のチケットを買った方はご存じだと思うが、ボリショイは未だにダフ屋が多い! 9時半から並んだが、ダフ屋のアルバイトの人たちが何度も何度も列に並びなおすのを見た。そして、10倍ぐらいの値段で売る。結局、朝9時半に並んで、窓口にたどり着けたのは夕方5時半。「根性」の一言で表せる貴重な体験だった。 幼稚園や学校でもヨールカ祭はある。特に幼稚園は一年で一番大きな発表会となる。物語進行ではじまり、最後にサンタクロースが必ず来る。サンタクロースはこどもの誕生日をうけおう会社が派遣してくれる。もちろん親がお金を払う。サンタクロースが持ってくるプレゼントも組の代表のお母さんが用意する。 〈お正月〉 お正月はロシア人が一番好きで、一番大きなイベントといえる。
31日までに、お世話になっている友人知人にプレゼントを渡し、大掃除をし、大みそかを迎える。今年は国の定めた休日として、1日から11日までが休みだった。 30,31日には新年のご馳走の用意も忙しい。伝統的に12月の最後の土日は、市内がとても渋滞する。それは一緒に新年を迎える家族、友人にプレゼントを買うためだ。 ロシアではサンタクロースは31日の夜から1月1日に来るとされているので、新年あけてすぐにみんなでプレゼントを贈りあう。 このプレゼントの気合の入り方は、すごいと思う。 とても高価なものを贈りあうので、新年明けは、新しいタブレットや最新の携帯を持っている人を多く見かける。 大みそかの夜11時ごろから新年を迎えるテーブルの用意をし、山のようなご馳走が並ぶ。それは、一年の初めに食べたものを一年の間で食べられるという迷信から来ていて、これでもかというぐらい、並べ立てる。11時55分ぐらいからはプーチン大統領の新年の挨拶が全チャンネルで放映され、大統領の乾杯の音頭で、クレムリンのスパスカヤ塔の鐘をききながら、シャンパンを飲む。 この時、12回鐘が鳴るうちに願い事を心の中で言いながら、シャンパンを飲み干すことが出来ると、その願い事が叶うと言われている。 そのあとは、プレゼント交換をしたり、飲んだり、お話したり、また飲んだり、ゲームをしたり、さらに飲んだりして朝まで騒ぐ。 新年の夜は極寒のしかも深夜なのに、あちこちで打ち上げ花火をあげる人たちがいて、朝までバンバンとてもうるさい。しかし、朝になるとしーんとして、人っ子一人いなくなる。朝まで騒いでいた人々が眠りに落ちるからだ。 モスクワでは1月1日の朝が一年で一番静かな日である。 〈クリスマス〉 ロシアのクリスマスは1月7日。実はロシア正教会ではお正月を祝わない。神父さんたちはクリスマスまでの40日間、精進の斎期に入っているので、ご馳走は食べられない。
1月6日から7日に向けて祭儀が行われ、クリスマスになると教会の中や外にモミの木が飾られる。 家庭では、家族親戚が集まる日の一つで、特別なことはなにもしない。サンタさんはもう来ない。 〈マースレンニッツァ〉 復活祭までの7週間は大斎期とよばれる精進の週で、大斎期に入る前の週を「マースレンニッツァ(謝肉祭)」といって、1週間、ブリニィ(ロシア風パンケーキ)を食べる。幼稚園でも学校でもこの週の一日は家からブリニィをもって行って、皆で食べる。同じように作っているようで、みんな少しずつ作り方が違うので、上手な人のブリニィは実は手間暇がかかっていて、本当においしい!そして、ロシア人の手作りジャムのおいしさは、言語に尽くせない!ダーチャでとれた果物やベリー類をジャムにするのだが、本当に上手。冬が長いので、保存食として発展したのかなと思う。ピクルスなどの漬物類も種類が豊富でおいしいから。 〈祖国防衛軍の日〉 2月23日はロシアの休日で祖国防衛軍の日。父の日とバレンタインデーに代わるものだが、幼稚園でもコンサートは行われず、お父さんの日は全体的にスルーされる。
母の日は「母の日」と「国際婦人デー」の2回もあるのに!コンサートもあるのに! ロシアにおけるお父さんの地位は研究の余地があると思う。 戦争について考える日でもあるが、最近の風潮で、「ロシアは第2次世界大戦の時世界を救った」とか愛国主義があまりに高揚しているので、ちょっと不気味だなと引いて傍観した。 春は冬が長いロシアでは、とても待ち遠しいものだ。もしかして、それでロシアにはお花屋さんが多いのかもと今考えた。 5月の下旬には学校も幼稚園も夏休みに入る。上の子は初等部を卒業、下の子は幼稚園を卒業する。 児玉直子 |
児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.3 |
「秋」 2011年にサマータイム制が廃止されていましたが、先日、ロシアはまた昔の冬時間に戻り、1時間、時間を早くすることになりました。つまり、昨日までの朝7時が、今日の朝6時になります!冬時間になった日の朝はなんだか得した気分です。今度からは、この「冬時間」でずっと過ごしていくようですが、またどうなるかわかりません。ちなみに、11月初旬のモスクワの日の出はおよそ8:00、日の入りは16:40です。本当にあっという間に暗くなります! 〈小学校〉 11月1日から9日までは学校は秋休み。その1日を利用して、クラスでトルストイ博物館に行った。希望者のみの参加。
モスクワでは、学校・学年単位の行事というものはほぼなく、なんでもクラス単位で行われる。遠足も初等科最後の4年生の年に行われる卒業パーティーもすべてクラス単位。 クラスの中で保護者代表が数名選ばれ、クラスで使われるお金を年4回ある保護者会で集め、必要に応じて使っていく。教科書は図書館が貸してくれるシステムだが、付属するワークブック、図書館が揃えられなかった教科書などは保護者会が手配して買う。その他、先生への年3回のプレゼント代(誕生日、お正月、国際婦人デー)、清掃費、備品代、子どもへのプレゼント代などもそのお金から支払われる。私たちのクラスでは大体1か月に3000円ぐらいのクラス費を払っている。今回の博物館のチケット代もクラス費から払われるが、来なかった人から文句を言われることはない。 ちなみに保護者代表も交代したりせずにずっと同じ人たちがする。そういえば、私がロシアの学校で驚いたのは、クラス替えもないが、教室替えもないこと。それぞれの先生が、その先生の教室を持っているので、子どもたちが教室を替わるのは、初等教育を終えて担任の先生が代わる5年生の時だけ。モスクワでは小学校でも英語と体育と音楽と図工は先生が違うので、移動教室はあるが、クラスの教室は5年生まで変わらない。 〈幼稚園〉 幼稚園には秋休みはない。でも秋の発表会はある。実はロシアは幼稚園でも小学校のようにクラス単位ですべてが動いている。グループごとにトイレ、寝室、室内遊び場、室外遊び場があるのはもちろん、給食を出す配膳室もグループの部屋ごとにある。グループの部屋ごとに小さな食洗機付きの台所もあって、一人ずつご飯担当の係りの人がいる。
各グループには先生が2人いて、7時から12時までと14時から19時までというシフトで交代しながら勤務している。12時から14時までは2人の先生が一緒に仕事をしていて、ご飯の係りの人も最後のご飯の16時までは一緒にいるので、大人が結構いる。このシフト制はとても合理的で先生の集中力がきれないという点で子どもの安全面を考えた時もいいなと思う。 発表会もグループごとに行われる。30〜40分で終わり、保護者ごと入れ替えるので、幼稚園内のホールでする。こういう会は土日祝日ですることもなく、平日の朝するので、実は来ることができる保護者も少ない。子どもたちもばっちり歌や踊りを覚えているというほどでなく、普段通りの感じがゆるくて微笑ましい。笑 ロシアの発表会で必ず行われること、それは詩の朗読! 必ず、4行ぐらいの詩をひとりずつ覚えさせられ、ひとりずつ朗読する。詩は絶対!ロシア人にとって詩の朗読は成長を見せる大切な要因なんだろうなと思う。 そして、ロシア人のイメージで「秋」を擬人化すると、「ロシアの美女」になる。「秋」が女性名詞ということもあるのだろうけれど、秋の発表会で「秋」とよばれるロシアの民族衣装を着た女の人が出てきて、皆で秋に感謝する。秋にはきのこもあるし。そう、ロシアの秋のシンボルはりんごときのこ。純粋に面白いなと思う。 〈日本語クラス〉 今年は10月からセンターが始まり、1年生が入ってきた!9月にロシア人の先生2人と私で、センターで勉強したい学生たちを面接した。定員は15人。ロシア人の先生方からの質問は「日本人作家で読んだことのある人は?」「日本の首都は?」「どうして日本語を勉強したいと思った?」などだった。
日本人作家で主に挙げられた人は村上春樹。村上春樹氏はロシアでもとても人気がある。日本語志望の動機は、アニメが圧倒的に多い。宮崎駿監督のことについて熱く語った人もいたし、他の漫画やアニメについて話してくれた人もいた。その他は、珍しい言語なので将来の仕事に役に立ちそうという人もいた。ジャーナリスト学部というと2,30年前は男子学生がほとんどだったようだが、いまでは女子学生が大半だ。センターに申し込みをしてきた学生も全員が女性だった。授業が始まって一か月がたつが、残っている学生は10名。皆、本当に真面目で熱心で、とてもいいクラスとなっている。週3回1時間半ずつの日本語の授業、週1回の歴史、マスコミ研究の授業にも真剣に取り組んでいる。モスクワに限らないことかもしれないが、最近の女子学生たちの出世に対する意欲、そのための努力を惜しまないパワーはすごいと思う。男の子たちからはそれをあまり感じない。やっぱりロシアは女性で成り立っている・・・。 〈制裁の影響〉 ロシアが制裁の報復として農畜産物の一年間の輸入禁止を決めてから早、三か月。生活がどう変わったかというと、「良い」チーズと魚がなくなった。その他のものは、ロシアは食料自給率が肉類、乳製品、野菜、穀物類と軒並み80〜90%と高いので、品ぞろえは報復以前以後でそう大差はない。チーズは今はロシア製のものが大半なので、舌の肥えたロシア人は我慢が出来ないようだ。魚もノルウェー産がなくなり、産地がどこかわからないものが増えて、怖くて買えない。そして、ロシア産のものの便乗値上げがこれまたすごい。全体的に100円ぐらい値上げされているように感じる。ロシアではいつも、ユーロが高くなれば、値上げし、ドルが下がったと言って、値上げし、ルーブルが強くなったと言っては値上げし、あらゆることが、値上げのきっかけになっているが、今回も例にもれず、値上げが行われている。 冬になると、もっと暗く、もっと寒くなる。冬になると、近所には毎年、無料のスケートリンクが仮設されていたが、今年は不景気なので、市の予算が足りるか心配だ。今年はロシアはお正月の国の祝日が長く、1月1日から1月11日まで休みが続く。マロースおじいさんと雪娘ちゃんに会える日もどんどん近くなっている。 児玉直子 |
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児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.2 |
「夏」 夏のモスクワ市は人が少ない。特に子どもが格段に少なくなる。皆、郊外のダーチャ(森の家)に行ったり、バカンスに行ったりするからだ。ここ数年はモンテネグロやクロアチア、ブルガリアの海に人気がある。今年はクリミア半島の飛行機・サナトリウム・ホテル代が安く設定されているので、クリミアに行く人も多いようだ。だいたい10日から2週間ほどバカンスに行く人が多い。 〈小学校〉 ロシアの学校は終わるのが早い。授業も終わるのが早いし、学年が終わるのも早い。 授業は5時間授業でも13:05に終わってしまう。今年は夏休みが始まったのは5月23日・・・。早い!学校が始まるのは9月1日だ。 今回はロシアの学校の食育について。モスクワでは日本で言われているような食育はほとんど行われていない。学校では朝食が無料で、昼食は有料で希望者のみ。朝食は残しても何も言われない。ソ連時代をご存知の読者の方は驚愕することだろう。ソ連時代は給食を残すなと厳しく言われたそうだ。今は個人の勝手ということになっている。ただ、マナーという面ではロシアの方が厳しいように思う。家庭でも好き嫌いや食べ残しを怒るよりも、フォークやスプーンの使い方、食べ方、テーブルマナーを厳しく言われている。 〈自動車学校〉 試験を受ける警察署の路上試験専門のインストラクターに1か月間週2回の個人授業をうけた。その警察署はモスクワの端にあるので、行くだけで1時間半・・・。私の精神力と体力を試す出来事だった。インストラクターには2種類いる。自動車学校に勤務している人と、フリーの人。自動車学校の料金に含まれる路上レッスンの20授業(1授業1時間半)では、自動車学校内の試験に受かる人が少ないので、延長レッスンを受ける人が大多数だ。自動車学校内の延長レッスンは1時間半で1500ルーブル(約4500円)、フリーのレッスン代は1000ルーブル(約3000円)だった。フリーのインストラクターは主に警察で受ける路上試験のコースのポイントを教えてくれる。自動車学校の先生もコースについて詳しいが、学校の仕事もあるので、休日だけにしか行けない。フリーの先生は毎日できるので、警察の路上試験に早く受かりたい人のためにはとてもいい。警察署の周りの電柱や道路にはフリーのインストラクターの電話番号がたくさん書いてある。皆、何回も試験に落ちていくうちに連帯感がでてくるので、教え方の上手なインストラクターは、すぐに口コミで広まる。その口コミで知ったインストラクターは、自動車学校の先生と比べて、親切で優しく、説明もわかりやすかった。フリーで生き残るためには、大変な努力が必要なのだろう。試験コースを細部にわたり親切丁寧に教えてくれた。そして、・・・自分でも未だに信じられないが4回目の路上試験で合格できた。それなりに年を重ねてきたのに恥ずかしいが、思わず嬉し泣きしてしまった。笑 もう自動車には二度と乗りたくない!!! 〈幼稚園とお母さん〉 幼稚園に娘が通いだした時に気が付いたこと。それは、ロシア人にとっていかに「お母さん」が大事な位置を占めるかということ。ロシア人にとって、お父さんは本当に二の次な気がする。それは、幼稚園で習う歌にも顕著にあらわれている。「大好きなまま」「ママの為に歌おう」など、とにかくママについての歌が多い!パパなんて一回も出てきたことがない!!!ロシアの育児における男性の地位の低さは目立つ。ロシアでは男性の育児休暇はない。伝統的に女性が強い国ではあるが、ロシアでは「お父さん」はこどもにとって重要な位置を占めてない気がする。「お父さん」よりも「おばあちゃん」たちに子育ての発言権がある。幼稚園では「母の日・おばあちゃんの日」のコンサートはあるが、「父の日」のコンサートはない。 〈ダーチャ〉 夏の時期のダーチャ村は人でいっぱいだ。90年代の食糧難の時とは違い、今は庭で好きなお花や自分で食べるぐらいの簡単な野菜を作っている人が多い。「郊外の家」であるダーチャには2種類ある。コテージと呼ばれる水道電気完備かつ豪勢な造りの一軒家とダーチャとよばれる普通の家だ。コテージとダーチャの間にあるようなそんなに豪華ではないけれども水道電気が完備され、快適なダーチャも昨今多い。ダーチャやコテージは固まって存在しているので、自分たちのダーチャ村を快適にしようと、共有部分に力を入れている村も増えてきた。例えば、公園を作ったり、沼を整備したり、スポーツ施設をつくったりといったことだ。それにしても、ロシアの田舎は日本の田舎のイメージとは全く違う。ロシアの田舎は水道電気が通ってないところがとても多いし、携帯の電波もとおってないところが多いし、都市部とは生活の便利さが比べ物にならない。若者がモスクワを目指すのもわかる。ロシアの田舎ではすることがないので、アルコール中毒者がとても多い。ロシアの都会と田舎の純粋な生活面での差は、日本では考えられないぐらいに大きい。 秋はロシアでは新学期。そして10月からは暖房が入る。大体10月末に初雪が降り、日照時間がだんだん短くなっていく。ちなみに夏のモスクワは4時ごろに明るくなり、23時ごろに暗くなる。ずーっと明るい。それが冬には・・・。秋は「黄金の秋」ともいわれるが、暗い時間が増えてくるので、人々の気分も下降気味になっている。 児玉直子 |
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児玉直子の「住んでみたモスクワ 春夏秋冬」 vol.1 |
今年でモスクワに来てから、20年。小学生の息子と幼稚園の娘がいます。仕事はモスクワ大学ジャーナリスト学部日本センターで日本語講師をしています。これから一年間季節ごとに私のモスクワの生活について書いてみたいと思います。 「春」 モスクワの春は突然やってくる。4月の15日までは確かに雪があった!でもそのあとあっという間に雪が解け、緑があふれだし、花粉症の季節になる。モスクワは白樺が多いので、樺花粉で悩む人が多い。私もその一人。毎年どんどん仲間が増えている。今では花粉症はこの時期の風物詩と言っても過言ではない。 〈小学校〉 上の息子は今、3年生。モスクワの学校はどこも11年生までの一貫教育だが、4年生までが初等教育で、5年生になると担任の先生が代わる。クラス替えはなく、担任の先生も5年生に一回変わるだけ。ロシアの入学式は9月だが、日本の学校とロシアの学校の面白い違いに気が付いた。 日本では新一年生に聞く主なことは「友達出来た?」ではないだろうか?ロシアでは、友達についての質問はまるでない。笑 「勉強はどう?」が一番大事な質問だ。周りのロシア人にどうして友達が出来たか聞かないの?と聞くと、一様に「学校は勉強するところでしょ」という答えが返ってくる。確かに、学校では朝の会も帰りの会もHRも掃除の時間もない。中間休みには朝ご飯を食べに食堂に行くし、5時間授業でも13:05には終わるので、昼休みもない。先生がいじめ問題にかかわることもない。 思い出すのは、息子が一年生になるとき、主人の母がしつこいほど何度も何度も「学校では泣くな、泣くといじめられるよ」と諭していたこと。確かに見ていると、泣く子はいじめられる。かといって、クラスが仲が悪いわけでもなく、みんな仲良くしている。お互いのお誕生日会に行ったりしている。モスクワの子どもの誕生日ビジネスは最近過熱気味だ。モスクワ市内の多くの美術館博物館が誕生日会プランを謳っているし、レストランやゲームセンターなども子ども誕生日プランを提供している。その他、ピエロやマジシャンを派遣する派遣業も盛んだ。誕生日会をすると、一回最低10万円の予算は必要だ。 〈自動車教習所〉 モスクワは交通量がものすごく多い。しかも運転が荒く、交通ルールを守らない人が多いので、渋滞になりやすい。そういう事情もあり、最近は自転車やキックボードで移動する大人がとても増えている。バイクも格段に増えた。 私は、というと、そんな流れに反し、教習所に通っている。教習所は、理論の授業が週2回1時間半ずつが3か月と実践の授業がコンピューター2回と路上20回あり、約10万円かかる。学校内で理論、広場(縦列駐車、蛇行、坂道発進、バック駐車、方向転換)、路上のテストがあり、そこで合格すると今度は警察で理論、広場、路上の試験がある。理論を合格しないと広場は受けられず、広場に合格しないと路上は受けられない。そして理論を合格してから3か月以内に路上まで合格しないと、もう一度理論から受けなおしとなる。教習所ごとに試験をするので、警察での試験は2週間に一回だ。教習所の人が警察での手続きをすべてしてくれる。恥ずかしながら、私は路上に3回失敗して次は4回目。昔、免許を取った人たちは「早くお金を払って、免許をもらえばいいのに」というが、今は、車内にカメラがついていて録画録音されているし、賄賂なんて無理無理。試験のコースをインストラクターと回る日々は続く・・・。 〈日本語クラス〉 モスクワ大学の日本語クラスはこれから試験期間に入る。私は途中からこのクラスを引き継いだので、これが最初の試験。ロシアの大学は、12月末と5月末から前後期の試験が始まる。試験は口頭試験だ。日本語の試験は口頭と筆記の試験を計画している。私が大学生だったときは大体60問ぐらいの試験問題が前もって出題され、それがチケットとなっていて、試験の時にひいて答える形式だった。その緊張たるや、今でも夢に見るぐらいだ。運悪くあまりわからない問題を引いた場合は、いかに知っていることと関連付けて話を大きくするか、いかに先生にわかっていると見せるかに苦心したが、今、試験をする側に立ってみると、わかっている人とわかっていない人は一目瞭然だ。若いって・・・。 このジャーナリスト学部の日本センターは日本の歴史と日本のマスコミ史の授業と週3回1時間半ずつの日本語の授業が課外授業として無料で受けられる。センター長の意向で、少数精鋭にしたいため、本当に勉強したい人だけが残れるようになっている。成績優秀者には日本への短期留学などもあり、素晴らしいシステムだと思う。3年間センターで勉強できる。いろいろ大変な面もあるが、親日家を作っていくこういうセンターは続いて行ってほしいと思う。 今年の5月の連休は1〜4日と9、10、11日。有給を使って1日から11日までを休む人も多い。ロシア人の森の家、ダーチャのシーズンがスタートする。 児玉直子 |
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