4月2日(日)に「シビトゥーニアコンサート」を行います |
平岡貴子のモスクワ便り vol.9 「ロシアの宇宙を巡る旅」 〜ロシアの宇宙精神と文化・芸術〜 |
2016年7月7日早朝、カサフスタン・バイコヌール宇宙基地。ソユーズロケットは澄み渡る青空の中、眩ゆい光と共に大地から宇宙へと飛び立った。日本人として6人目のソユーズ宇宙船フライ トエンジニア宇宙飛行士大西卓哉さんを乗せて。2度の延期の末の出発であったが、その日は奇しくも七夕だった。 私は、モスクワでの大西宇宙飛行士との偶然の出会いから、ソユーズ打上げの一部始終をバイコヌール宇宙基地で体験する機会を得た。今日はその一部を写真とともにお届けする。 ミュージカルが好きな大西さんは、ロシア訓練時の休日に、私が出演するアマデウス劇場の公演を鑑賞しに来てくれた。自分の生涯で宇宙飛行士と出会うとは夢にも思っていなかった!なんと 魅力的なことか。初めて名刺をもらった時の驚きは忘れられない。「宇宙飛行士 大西卓哉」、私は「あら、イケメン」と思う間も無く、「エッ、エッ」と大西さんの顔と名刺を何度も何度も往復して しまったものだ。 その日から宇宙飛行士という職業は、私にとって身近な存在になった。 宇宙都市「バイコヌール」 モスクワから南東に約2100q離れたバイコヌール。 現在はカザフスタン領だが、宇宙基地を使用するため、ロシアが年間1億1500万ドル(約115億円)を払い租借地としている、総面積6717平方kmにもなる世界最大の宇宙基地。(東京都の 面積の3倍強) 初めて訪れるバイコヌール宇宙基地はとてつもなく広く、乾いた土地で、来る者を圧倒するスケールだった。気候は時折スコールはあるが、一年のほとんど晴れる。ここには今でも一般の観光客 は立ち入ることができない。特別の許可を得た者だけがこの街に足を踏み入れることができる “閉鎖都市”なのだ。 「ソユーズロケットのロールアウト」 打ち上げ三日前、早朝。晴天というにはあまりにも青く深い空。打ち上げの全行程を漏らさず見ようと瞬きするのも勿体無い感じだ。先ず私が驚いたのは、ソユーズは格納庫から運び出され、 鉄道で発射台に設置されることだった。これをロールアウトと呼ぶ。 何の前触れもなく、ガッシャンという凄まじい音と共に、専用の列車に寝かされたソユーズが目の前に現れた。最先端の精密機械であるはずのソユーズが、昔懐かしい感じの列車で、荒涼とし た大地を威風堂々と進んでいる。ロシアではむきだしのロケットを横倒しで運ぶ。私はあまりの驚きにロシア人警備員の存在も忘れ、ソユーズまで数メートルという至近距離まで近づいていた。 警備員は近づいて来て、笑顔で「凄いだろう。これは…」と話しかけて来た。そこは笑顔じゃなくて制止でしょ?仕事しなよ、と思わずツッコミたくなってしまった。何とも牧歌的、いやロシア的という べきか。 「ロシアの宇宙精神」 かつて私はソ連の宇宙開発に関しては、米ソ冷戦時代の産物で、国家の科学分野における潜在能力のプロパガンダだと思っていた。そこには人としての営みやロマンなど感じられない。でもそ れは大きな誤りだった。それが「ロシア宇宙精神」と呼ばれる哲学である。 ガガーリンが宇宙に旅立つこと90年前、ロシア正教の敬虔な信者だった思想家ニコライ・フョードロフが提唱した「共同哲学 」。彼は、その中でこう言っている。「我が国の広大な空間は、偉業の ための新しい舞台となる天上の空間へと繋がる通路なのだ。人間の活動は。地球という惑星の中に限定されるべきではない。人間は地球という船の気楽な乗客ではなく、乗組員でなければ ならない。」。「ロシア宇宙精神」は、宇宙を科学的、哲学的・文化的に捉えようとする大きな試みだった。彼の主張は、ドフトエフスキーやトルストイの作品にも大きな影響を与えたと言われてい る。 なお、「宇宙船地球号」という言葉が20世紀後半、バックミンスター・フラーの著書で有名になったが、同じような考えがこの頃すでにあったことはとても興味深い。 そのフョードロフを師と仰ぐコンスタンチン・ツィオルコフスキーは、「宇宙飛行の父」と称されている。1897年にロケットの速度と噴射ガス速度の関係などを示した、世界初のロケット理論「ツィオルコ フスキーの公式」を発表したロシア人である。まだ宇宙ロケットなど開発されていない時代に科学的根拠に基づいた、実際のロケット理論や、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、多段式ロケット、 軌道エレベータなどを考案した。彼の発想の多くが「ロシア宇宙精神」に基づいた人類の次の進化を見据えたものであった様に思われる。 彼がロケットに興味を持ったきっかけは、幼い頃に読んだジュール・ヴェルヌの空想小説『月世界旅行』。その後、重力や惑星の運動に興味を持ち、独学で数学や物理を勉強するようになったそ うだ。現在では科学の結晶とも言えるロケットの、その源にあったのは、「科学」ではなく、夢想ともいえる「想像力」だったのだ。「我々人類は何処から来て、何処に向かうのだろう」こんな根源的 な問いが「想像力」を生み、「ロシア宇宙精神」へと紡がれてゆく。宇宙開発は政治利用もされて来たが、その根底にはこの様な哲学が確かにあった様に思う。 バイコヌールには、こんな「ロシア宇宙精神」が至る所に見え隠れしていた様に感じた。そう、警備員の中ににも。 「ロシアの宇宙開発」 ロシアの宇宙開発は「職人の世界」。「この道一筋」といった感じのおじいちゃんを、基地内で見かけることも少なくない。 仕事のマニュアルを作る習慣がないこともあり、職人たちの頭のなかには、知識と技術と経験が詳細に刻みこまれている。彼らはまさに、宇宙開発の「生き字引」なのだ。 どこかロシアの音楽家たちとよく似ている。 一般的に技術開発は、新しいものほどいいとされがちだ。だが、ロシアは使い慣れた技術を大切にする。現在ISSに人を運ぶことのできる数少ない宇宙船であるソユーズは、開発から50年ほど たったいまでも基本的な構造がほぼ変わっていない。「うまくいっているものは動かさず、そのうえで新しく取り入れられる部分は取り入れる」という発想なのだ。 かつて欧州のメディアが、『米国のシャトルはTGV(仏高速鉄道)だけど、ロシアのロケットはトロッコだ』だと揶揄した時、ロシアの宇宙飛行士たちは、『トロッコは壊れても、ネジを1本だけ替えれば また動く。古くても格好悪くても高性能じゃなくても、自分たちで操作できるものの方が俺たちには合っているし、それを誇りに思っているよ』と笑い飛ばしたそう。 まるでオペラの舞台装置作りのようだ! 質実剛健さとユーモアが混在していて、まさにロシアの魅力。まさにロシア宇宙精神!? 「ソユーズ発射台に立つ」 ガガーリン射点は1957年に完成。ガガーリンが乗ったボストークなど多くの有人宇宙船の打ち上げに使用された、由緒正しい発射台だ。ロールアウトから2時間後ソユーズはガガーリン射点に到 着し、すごい機械音を発しながら、起き上がりはじめた。地響きをさせながらロケットを垂直に立ち上げる様は、何だか危なっかしく、いかにも力技という感じがした。そして、時間にして15分ほどで 太陽を目指す格好で無事、屹立した。三日後にこのロケットに乗り、大西さんは宇宙へ飛んで行く。そう思うと、私は何だか誇らしい気分になった! 「ソユーズロケット打上げ」 打ち上げ当日、早朝だというのに太陽がやけに眩しい。私は、報道陣のいる観客席ではない地元の人向けの場所に陣取った。私たちが立っているのは、発射台から1.4Kmという近さ。心なしか 心臓の鼓動が早いような気がする。 打上げ予定時間は7時36分。私は何度もスマホで時間の確認をし、目の前のソユーズを見るという行為を繰り返していた。特別なカウントダウンはなく、群衆は粛々と待ち続けた。 そして、ロシア語でアナウンスが流れた後、轟音が鳴り響く。不安なのか、感動なのか、魂が揺さぶられる様な不思議な感覚。鉄の塊から炎が溢れ出した。あの中に大西さんがいるのだ。そし て、大地を引き裂くような眩しい光を放ちながら、ソユーズはガガーリン発射台からゆっくりと空へ昇って行った。 その瞬間は神々しく、美しい姿は幻想的でもあった。「世界は争いで溢れているけど、それでもヒトはより良い明日を目指して生きているのだ」何故だか、そう実感できる瞬間でもあった。 最先端の科学なのになぜか「人間らしさ」を感じるソユーズ打上げ。 科学をする心の中に「人間のらしさ」が確かに息づいていた。その中にこそ芸術と科学に共通する何かがあるのではないかと思っている。 その後、宇宙へと渡った大西宇宙飛行士は、彦星よろしく宇宙で大活躍された後、無事地球に帰還されたのは皆さんもご存知の通りである。 「モスクワ・アマデウス音楽劇場」ソリスト 平岡貴子 |
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平岡貴子のモスクワ便り vol.8 「結(ゆい)」コンサート [В ТРАДИЦИЯХ ЮИ] 〜伝統を引き継ぎロシアと日本を芸術で紡ぐ〜 |
2015年10月31日、在モスクワ日本大使館「日本の秋」プログラム、「結(ゆい)」コンサート [В ТРАДИЦИЯХ ЮИ]が、モスクワ、APボゴリュボフ芸術図書館ホールで行われました。 モスクワ市立教育センター2030番学校によるこのコンサートは、「未来を担う子供たちがお互いを理解し、ふれ合い、新たな未来を作っていく」」というコンセプトのもと、2011年から開催されてい ます。 今回の演目は、松尾芭蕉の俳句の朗読とプロコフィエフのピアノ曲のコラボレーション、滝廉太郎の「花」や岡野貞一の「ふるさと」、天井に水墨画を映しながら演じる「動物の謝肉祭」など。 ふるさとを歌ったリーザは、「日本語の発音は難しい。でもとても美しい言葉」と感想を語り、松尾芭蕉の俳句の朗読したサーシャは、「結(ЮИ)コンサートは、私たちの学校でこれからも受け継 がれていきます。私は、その礎となれることをとても誇りに思います」と語ってくれました。 私はこのプロジェクトの指導者の一人として、子供たちと共に未来を作っていきたいと思います。 モスクワ・アマデウス音楽劇場ソリスト
モスクワ中央教育センターNo,2030 客員講師 平岡貴子 |
平岡貴子のモスクワ便り vol.7 "Шкатулка Песен" 「歌の玉手箱」コンサート -Россия- Япония. От всего сердца с любовью... |
2015年1月25日、私は「トロピニンとその時代の芸術家たち」博物館( Музея В . А . Тропинина и Московских художников е го времени )で行われた「歌の玉手箱」コンサートにピアニストの高橋裕希子さんと共に出演しました。 В . А . Тропинин は、農奴出身の画家・建築家で、とりわけポートレート画家として有名です。トレチャコフ美術館にも В . А . Тропинин の部屋があり、彼の描く、 優しい微笑みをたたえた肖像画は、観る者をいつも幸せな気分にしてくれます。 コンサートは、特別展「子供フェスティバル」の最終日ということもあり、会場にはたくさんの学生たちが来場していました。 プログラムは、日本歌曲から「ペチカ」「荒城の月」、ロシアロマンスから「夜鳴きうぐいす」などで、ピアノソロ「ラ.カンパネラ」を含めた14曲。 博物館の展示品でもあるピアノは、150年前の骨董品で調律もままならず、鍵盤のタッチもバラバラ、音楽家泣かせのピアノでした。 しかし、少しくぐもった19世紀の音色はとても柔らかく、歌手もピアニストもピアノとのハーモニーに心を寄せ、時空を超えたアンサンブルを存分に楽しみました。 哀愁が漂う日本のメロディはロシア人のたちの共感を呼び、柔らかい日本語の響きは子供たちの想像力をかき立てた様子で、彼らは私に「荒城の月を絵画で描いてみたい!」と言っていまし た。コンサート終了後には、福笑いや剣玉といった日本の伝統的な玩具を皆で楽しみました。 このようなコンサート、日本でも開きたいですね。 「モスクワ・アマデウス音楽劇場」 ソリスト 平岡貴子 |
平岡貴子のモスクワ便り vol.6 |
皆さま、師走に入りお忙しい日々をお過ごしのことと思います。 今年は冬将軍の訪れが早く、モスクワの気温は11月末に既に-14 ℃ になっていました。晴れた日には空が白むほどに冷え、ロシアの大地は長い冬を迎えています。 今日は、私が「レクチャー&コンサート」をさせていただいた、モスクワ市立「インテルナート」という小・中・高の一貫校のことを書かせていただきます。 現在この学校には、軽度〜中度の視覚障害がある生徒たち125名が学んでいます。基本は全寮制で、月曜〜木曜まで寄宿舎で過ごし、週末は家族と一緒に過ごすそうです。校内は生 徒たちが学習しやすいように工夫されていて、例えば図書室には、本を閲覧する際に細かい字を拡大できる機器が置かれていました。また、医師と看護士,栄養士が常駐し、生徒たちの健康 管理を行っているそうです。 そして特筆すべきは、学校内博物館があることです。「伝統的な暮らし方」という名のこの博物館の館長は、Tamara Ponomarevaさん。穏やかな笑顔と凛とした立ち姿がとても美しい女性 です。彼女は大の日本好きで、博物館の中の一角には日本コーナーがありました。 今回の受講生は小学3年生から高校2年生までの約30人。日本について学んでいる学生たちです。彼らは、本やインターネットで得ている日本についての知識と、生(なま)日本人?が話す 日本との違いを真剣な面持ちで聴き入っていました。 私が選んだテーマは、「日本の里山の四季」。里山の四季は美しいだけでなく、人々の暮らしと密接に結びつき、今もなお日本人の 生活様式や 心の持ち方に深く関係しています。私は、 自然の様や遊びや仕事を歌った叙情歌や童謡と共にとある村の四季の映像を紹介しながら、約一時間の「レクチャー&コンサート」を行いました。生徒たちは、絵画の一部を切り取ったような 美しい姿の日本はよく知っていましたが、暮らしに根づく日本の姿は初めて 見た ようです。 アンコールで歌った「ふるさと」。どこかで耳にしたことがあるのでしょうか? 皆が一緒にハミングしてくれました。 「耳を澄ませ自然の営みに心を傾ければ、そこには時の息吹きがゆっくりと起ち上がってくる…」 お礼にと 、 素晴らしいショパンを披露してくれたイワン君の言葉がとても印象的でした。 平岡 貴子 |
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「天使のピアノによるコンサート」 愛の歌は今、時空を超えて → 報告(コラムへ) |
日 時:11月9日(日)14時開演 (13:30開場) 会 場:滝乃川学園「聖三一礼拝堂」(南武線矢川駅下車 徒歩10分) 出演者:平岡貴子(ソプラノ) 岡野屋 正男(テノール) 高橋裕希子(ピアノ) <曲目> 愛の夢(リスト)、天使の糧(フランク)、初恋(越谷逹之助)、アヴェ・マリア<カッチーニ(ヴァヴィロフ)>、メリー・ウイドー・ワルツ(レハール)など 会場は、南武線矢川駅下車 徒歩10分 滝乃川学園内にあります。 タイトルになっている「天使のピアノ」は、激動の明治時代を生きた「石井筆子さん」が所有していたアップライトピアノです。 ご縁があり、このピアノの演奏で歌わせていただくことになりました。天使のピアノに相応しい歌声を皆様にお聴かせでできるよう、心を尽くして歌わせていただきます。 私は11月にモスクワ郊外の「目の不自由な子供たち」が生活し、学業を学ぶ学校で、「日本について」と「歌から学ぶ日本語」のマスタークラスをさせていただくことになりました。 「天使のピアノによるコンサート」と何か繋がっているような気がしています。 皆様のご来場をお待ちしています。 平岡貴子 |
平岡貴子のモスクワ便り vol.5 「ゆかし国 ロシア」 〜Takakoのモスクワ奮闘記(下)〜 |
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?私はつい先日、ロシアより帰国しました。文字通り、ロシアと日本を行ったり来たりの生活です。 それにしても世界の気候は激変していますね。モスクワは内陸なので、昔から夏の雷雨が多いそうですが、最近は本当に頻繁におこります。 近年の日本と良く似ていまね。 遅くなりましたが、「ゆかし国ロシア」(下)を掲載させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。 私は、「アマデイ音楽劇場」の「魔笛」11月公演に第二侍女役で出演している。これは私の記念すべきモスクワデビュー。第一回目が無事終わりホッとしたのも束の間、第二回目は「ベルリン 室内楽団」の首席指揮者ミハイル・ZUKERNIKを招いての公演が決まっていた。 20日。私たちは彼のモスクワ入りを待ち、オケ合わせに入った。この日の合わせはキャスト全員の合唱から始まるはずだった。しかし四時間半、私たち歌手は全員客席に座って待機。「今日は 歌えないのか?」思わずジェーニャと顔を見合わせる。驚いたのは私だけではなかったようだ。「もっと弱く!モーツァルトのテンポで」ミハイルの声が飛ぶ。オケとテンポが合わず、歌手との合わせをす ることができないのだ。私たちは焦りにも似た不安を感じていた。 21日午後三時。外はもう暗い。‐15℃。雪。劇場へ向かう道、私は急ぎ足で歩いていた。「TAKAKO。乗って!」車の窓が開き、歩道近くに止まった。夜の女王の娘「パミーナ」役のナージャ だった。劇場は目と鼻の先。歩いた方が早いのに・・・が、喜んで乗せてもらう。やはり時間ギリギリに舞台入り。うーん何ともロシア的。そんな私たちを待っていたのは、ミハイルの大声だった。「僕 のテンポで!休憩!」えっ、休憩?空気が凍りつく。指揮者と「アマデイ室内楽団」のプライドがぶつかり合う。「もっと優しく。パミーナ、これは天上からの声だよ。」ミハイルが諭すように言う。前奏 が流れる。前回の指揮者よりゆっくりしたテンポだ。「第一侍女、もっと弱く。第二侍女、もっと軽やかに。」ミハイルの声は続く「ストップ!第三侍女、なぜそんな風に歌う?音楽は紡ぐものなん だ。」彼の求める音は、芯がある繊細な音。軽やかでそれでいて荘厳なモーツァルトの音楽なのだ。本番まであと四日。私たちは彼の音楽を身体に入れなければならない。 25日。本番当日。トヴェルスカヤ広場でミーティングがあるという。一週間後に「政党選挙」を控えたこの国では、至る所で街頭演説が行われていた。その場所には決まって救急車が待機して いる。救急車が待機?日本ではありえない光景だ。 またもや満員御礼!「魔笛」はこの劇場の看板演目なのだ。本番5分前「楽しんでいきましょう!」背後からナージャの声。序曲が始まり、私は軽やかに舞台に躍り出た。美しいシンフォニック な響きに包まれる。この瞬間、私はかつて経験したことのない至福の時を感じた!皆の顔が喜びに変わる。ついに、ミハイルと「アマデイ音楽劇場」が一つになったのだ。 嵐のように過ぎたモスクワでの日々。得た物の大きさに驚く反面、私の「魔笛」は、この劇場に真に値する物といえたのだろうか?帰国数日後、オレクからE-mailが届いた。「元気かな? TAKAKO。君はすんなりアマデイの一員となったね。さて、次は何の役がやりたい?」 |
平岡貴子のモスクワ便り vol.4 「ゆかし国 ロシア」 〜Takakoのモスクワ奮闘記(上)〜 |
皆さん、こんにちは! 前回のお便りからたくさんの時間が経ってしまいました。 私は、4月末に帰国し、チャイコフスキーのオペラ公演と日本国内の音楽活動の軸である、「シビトゥーニア」(ソプラノ・フルート・ピアノのユニット)のコンサートを行いました。 今回のお便りは、私が「モスクワ・アマデウス音楽劇場」にでデビューしたとき舞台の様子です。 何年か前にある新聞に書かせていただき、今回はそれに加筆をいたしました。 上下二通です。 皆さんに舞台の様子が上手く伝わると良いのですが。。。 「いいかいTAKAKO。三人の侍女たちは、実は『ザラストロ』の使者なんだよ。美しく、気高く、そして狡賢い…」舞台稽古の初日、オレクは真っ直ぐに私の目を見てこう言った。 モスクワ市スピリドーノフカ通りにあるアレクセイ・トルストイ博物館。新進気鋭の演出家オレク・ミトロファーノフ率いる≪アマデイ音楽劇場≫は、ここを本拠地として活動している。私は、2007 年11月11日にモーツアルト作曲オペラ「魔笛」の第二侍女の役でこの劇場での初舞台に立った。それは、ロシア語の美しさに惹かれ、ロシアの歌を歌いたいとこの地を踏んだ時から10年以上経 っていた。 11月3日に初顔合わせ。公演まで八日間の日程で稽古が始まった。「魔笛」は、セリフによる芝居に音楽が組み込まれている「歌芝居」。ここアマデイでは、歌はドイツ語、セリフはロシア語で 演じなければならない。日常会話に不自由は感じないが、セリフとなると話は別だ。会話を生き生きと喋ることができるのか?不安になる。 第一侍女役のジェーニャ、第三侍女役のアッラとセリフの練習をしていると、階下から学芸員のおばさんが見学者を連れてやって来た。ここアレクセイ・トルストイ博物館は、かつて詩人が暮らし ていた館で、通常一般公開しているためだ。ホールには、19世紀の絵画が飾られていて歴史を感じさせる。オレクの演出では、夜の女王に仕える三人の侍女たちは、太陽の高僧ザラストロが内 密に敵に送り込んだ使者だという。何とも複雑な役柄。果たして私にできるのか?またもや不安になる。 通し稽古初日。「やあ。今日はブーツがきれいだろ!」警備のおじさんが笑いながら話しかけて来た。気温-3℃。雪。ロシア人はプラスの世界が好きじゃない。万年渋滞のモスクワでは歩道ギ リギリに車が走って来る。外気が0℃以上なると雪が溶けて道路がグチャグチャになり、ブーツが泥だらけになるからだ。この日緊張しすぎた私は左右の動きを間違えた。「美しい第二侍女ちゃん。 僕はこっちだよ。ほかに好きな人でもできたのかい?」オレクの言葉に皆、爆笑。さらに「私たちは三つ子!心と身体はいつも一緒よ。」と侍女たちがウインク。予定通りにいかないのがロシアの常。 オペラ公演とて例外ではない。演出の変更、オレクのイメージで≪アマデイ音楽劇場≫の「魔笛」が作られていく。 本番当日。満員御礼!期待と不安で鼓動はどんどん高鳴っていく。その時ジェーニャはウインクして言った。「舞台は私たちの人生そのもの。音楽の神さまは、成功を約束している。」さあ出 番だ!思っていたより身体がスムーズに動く。なんて美しい旋律。「ブラボー!」気がつくとカーテンコール。拍手の中、オレクが耳元でささやいた「おめでとうTAKAKO。美しく、気高く、そして狡賢 い侍女の誕生だね。」この日、私の≪アマデイ音楽劇場≫の歌手としての「舞台人生」が始まった。 ソプラノ歌手 平岡貴子 |
シビトウーニヤ 第四回コンサート ロシアの6月〜白夜 |
日時:2014年6月8日(日) 開場:13:30 開演14:00 会場:東京建物八重洲ホール 出演:平岡貴子(ソプラノ)、吉田祐美(フルート)、門田佳子(ピアノ) 料金:3,000円 主催:「シビトウーニヤ」コンサート委員会 後援:NPO法人ヘラルドの会 お問い合わせ:080-5686-8194 「シビトウーニヤ」コンサート委員会 歌、フルート、ピアノの室内楽のコンサート。ロシアやヨーロッパの初夏の様子のお話や曲目の解説を交えながらのコンサートです。 会場は、クラシックな雰囲気を持つ100名収容のサロンです。 どうぞよろしくお願いいたします。 平岡貴子 ◆シビトーニャ第四回コンサートの報告はコラム欄へ |
平岡貴子のモスクワ便り vol.3 「モスクワ教育センターNo,2030」 |
モスクワ市立中央教育センターNo2030、通称「未来の学校」。 私は2009年からこの学校で、日本語の音楽的アプローチとして、日本の叙情歌を日本語で歌うことを指導しています。 「未来の学校」は、2007年9月にモスクワ市の豊富な財力を投じて開校した、小・中・高一貫の学校。地下鉄環状線 “1905年通り”駅から徒歩10分という好立地にあり、総面積20,000u (なんと!日本武道館とほぼ同じ広さ)で、ヨーロッパ随一の設備と規模を誇ります。 校長のナターリア・リャブコワは、長身で颯爽とした美しい女性。 「学校では、全ての授業をロシア語と英語でおこなっています。1,200人の全校生徒に、Macのノートパソコンが貸与され、校内全ての場所からインターネットへアクセスでき、また、放課後にはア フタースクールが用意されていて、個人の希望に応じて、芸術・スポーツ・科学のプログラムを受けることが出来るのです。」彼女は誇らしげにこう話します。 実は、私が所属している「モスクワ・アマデウス劇場」の芸術監督オレク・ミトロファーノフはこの学校の舞台・オペラ演習の音楽監督でもあるのです。 私たちが取り組んでいる演目は、「日出ずる国日本の四季」。 詩の朗読・歌(叙情歌)・映像・踊りにより表現される日本の四季です。 私たちはこの演目を2012年3月14日に在ロシア連邦日本国大使館(モスクワ)で行われた「東日本大震災追悼・復興・支援感謝レセプション」で演奏しました。 いつの日か、子供たちが奏でる美しい日本語の歌を日本の地で歌えることを夢見て、これからも日本の叙情を伝え続けたいと思っています。 モスクワ・アマデウス音楽劇場 ソリスト
モスクワ市立未来の学校客員講師 平岡 貴子 |
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平岡貴子のモスクワ便り vol.2 「音楽人としての日々」 |
皆さんは、ロシア国立モスクワオペレッタ劇場をご存知ですか?かの有名なボリショイ劇場のすぐ近くにある2000人収容の大劇場です。 ここは毎日、小さな子供からお年寄りまで、沢山の人々で賑わっています。オペレッタはモスクワっ子の日常の娯楽、日本の宝塚歌劇といったところでしょうか。 私はこのオペレッタ劇場のメンバーたちと一緒にズッペ作曲「美しきガラテア」に出演しています。 舞台は古代ギリシャ。彫刻の美女ガラテアに命が吹き込まれ、人として蘇ります。彼女は自分の美しさを自覚しないまま、その美しさに男たちが惑わされて次々と事件が引き起こされるコメディ です。私の役は、ガラテアに命を吹き込むニンフ(妖精)です。 私たちはコンパクトになっている舞台幕を持って、さまざまな地方公演へ出かけて行きます。カザンのオペラ劇場、ゼレノグラートの多目的ホールなど。実は、この劇場の殆どの演目がロシア語で 演じ、歌われています。それもこの劇場が大人気の一つの理由なのです。 来年の3月には10日間のベラルーシ公演が予定されています。 |
平岡貴子のモスクワ便り vol.1 「ЮИ(ゆい):Вы знаете что…」 ( 「結: みなさん、ご存知ですか?」 ) |
2013年11月9日(土)に「日本の秋」の公式プログラムとして、モスクワ市立教育センター2030番学校(通称:未来の学校)ホールで、総勢100人による「さくら」が奏でられました。心に余韻が残 るメロディ。秘めた力を感じるのは日本人だけではないようです。 この学校では、4年前から小学2年生から高校2年生まで、国際理解と日本語教育への文化的アプローチとして、「結(ゆい)」プロジェクトを行っています。「結」というのは、古くは鎌倉時代から ある日本の相互扶助のような組織(茅葺きの屋根の葺き替えなど)のことです。子どもたちはこの「心の持ち方」を学び、感動し、ロシアからも日本の皆さんへ届けたいと考えています。 私はこのプロジェクトの指導者の一人として、子どもたちの成長の一助を担えればと思っています。 私のモスクワでの活動を皆さんにお届けいたします。どうぞ、よろしくお願いいたします。 モスクワ・アマデウス音楽劇場 ソリスト
モスクワ市立未来の学校客員講師 平岡 貴子 平岡貴子さんのホームページ http://takako-opera.com/index.html 平岡さんより「皆様の来場をお待ちしています。」とのメッセージが寄せられている。 ◆シビトーニャ第三回コンサートの報告はコラム欄へ |
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