理念 |
日本ユーラシア協会の運動理念について |
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(『日本ユーラシア協会50年史』より抜粋) ソ連の崩壊と日本ユーラシア協会の出発 1 「国民どうしの友好」の理念 1991年12月のソビエト社会主義共和国連邦の消滅は、1917年ロシア革命を起点とするソ連国民との友好運動を継承し、発展させてきた日ソ協会にとっては、自らの存立の根拠の問い 直しを迫られる大変事であった。 けれども、協会はすでにソ連の社会・政治体制が崩壊の危機を迎えた1989年から、「私たちの運動は、特定の政治思想や宗教的信条を超えた」ものであるが、「理念をもたない運動では ない」こと、日ソ両「国民」の友好と世界の平和という協会の目的の根底には、アジア太平洋戦争にかんする深刻な反省を踏まえた「すべての人間は平和のうちに生きる権利をもち、人間の 尊厳を侵されない権利をもつという理念」があり、それは「諸国民の不断の努力」なしには実現・維持できないとの認識があること(1989年活動方針−89年3月)を強調、そして「1990年代 は、1980年代の最後の年に世界に生じた激震を受けて、世界史の転換の時代となる」ことを予想して、「人間の尊厳をまもり平和と民主主義をめざす自主独立の真の友好運動」、「国民と 国民の友好」という理念(1990年度活動方針−90年3月)を掲げていた。さらには「その時々の政権や政権政党の政策の如何にかかわりなく」上記のような理念の運動に加わる人々が「この 地にもかの地にもたくさんいる」ことを確信し、「自立的な民衆どうしの連帯を具体的に多様につくりだす」という「壮大な展望をもった国際友好運動の筋道」(1991年活動方針−91年3月)を 探求していた。 むろん、友好運動は抽象的なものではなく、歴史的・具体的条件のもとで形成される「生きもの」であって、協会はほかならぬ「日ソ友好運動として形成されてきたのであるが、それにもかか わらず、その根底に横たわる理念からすれば、「ソ連」という国家体制の帰趨を超えて「民衆どうしの連帯」の運動として存続すべきものである、との合意を上記の命題はもっていた。しかがっ て、ソ連崩壊という打撃にも協会は協力なバネをもって対応し、新たなスタートを切ることができたのである。 2 名称変更と新しい友好ネットワークづくり 上記の理念的準備はあったが、1991年末にソ連の崩壊を観た後、協会は新たな出発にとりかかることになった。新たな活動方針を承認した1992年3月の第36回全国総会と協会の新しい 名称を規約に謳うこととなった1993年3月の第37回全国総会がその転機となった。 第36回総会で承認された1992年度活動方針は、「ソ連の崩壊によっていま世界の政治経済に地殻変動が生じ」つつあるという現状認識を踏まえ、以下のことを確認した。 第一に、現代社会は「人間の人間らしさを損なう事象に満ちており、人類の未来にとって根本的に解決されなければならない問題が山積している」こと、その解決のためには「国民・民衆サ イドの国際連帯がどうしても必要」であり自国民と旧ソ連国民はこの点で共通の課題に直面していること、第二に、「ソ連邦」という一つの国家体制の消滅は、同時に、旧ソ連諸国民による 新しい別の国家体制の創造の開始を意味するが、今後どのような体制を創造するかは彼らの選択にかかわることであり「国民どうしの友好は国家・社会体制の如何に左右されるものではな い」こと、また、旧ソ連の諸国民は自由や平等、民族的自立につき新たな、私達と共通した問題に当面し、私達とのあいだの多様な国際連帯を必要としてくることが予測されること、したがっ て、「新たな共通の課題のもとで旧ソ連諸国民とともに民衆どうしの国際的友好運動を構築すべき客観的根拠があり、かつ主体的条件も存在すること」、である。この認識に立脚して、協会 の進路は、「戦後半世紀にわたって構築してきた旧ソ連諸国民との友好運動を、人権と平和と民主主義のための民衆どうしの草の根の国際的友好運動という不変の理念のもとに、新たな 段階で継続・発展させる点にある」とした。実践的には、協会が、これまで久しく友好運動を形成していた旧ソ連の15の共和国国民との友好関係を次のような形で継続・再構築する、すなわ ち、それぞれの国民と日本国民との二国間友好関係を新しくつくりだし、そのようにして15共和国国民との重層的な友好関係を構築する、という方針となる。(「日本とユーラシア」1992.3.1)。 運動の理念・性格・形態にかんするこうした方針の決定は、日本の国際友好運動の歴史上画期的なことであった。むろんこれは多大な困難をともなう大事業である。それについては後に述べ る。 協会の性格の変化にともなって当然に名称変更の問題が生じた。この問題の議論はすでに第36回総会以前にはじまっていた。変更を急ぐ必要はない(しばらく「日ソ協会」のままととする)と いう意見もあったが、「ソ連邦」が存在しなくなった以上なるべく早く名称を変更すべきだという意見が大多数であった。新しい名称についてはさまざまな提案があったが、旧ソ連国民全体との友 好関係を目指すこと、協会の組織的一体性を確保することを重視し、その前提でこの問題につき協会全体の議論を尽くすこと、しかし運動の実務的必要上、次回総会での規約改正の前 にも、全国代表者会議を開催して暫定的に新しい名称を決定しうること、が承認された。(1992年度活動方針)。1992年8月8日に開催された全国代表者会議では、広い議論の中で漸 次受け入れられていた「日本ユーラシア協会」という名称が採択された。 「ユーラシア」というのは純地域的概念である。1920年代に亡命ロシア知識人の一部に独特の「ユーラシア主義」観念を提唱するグループが存在したが、そうしたものとは全く関係がない。ソ 連という国名は「ソビエト」、「社会主義」「共和国」「連邦」というシステム概念のみで成り立っており、地域的標識を含まないが、(多民族国家なので民族的標識はない)、もし地域的標識 を付するとすれば「ヨーロッパ=アジア・ソビエト共和国」、つまりは「ユーラシア」という言葉で表す他ないとのレーニンの言説(1922年9月26日のレーニンのカーメネフ宛手紙、レーニン全集第五 版第45巻、211頁)、あるいはソ連崩壊時の、旧ソ連構成諸国による「ヨーロッパ・アジア国家共同体」形成に関するゴルバチョフ提案(1991年12月18日)や1991年12月21日の独立国家共 同体宣言での「ユーラシア統一政治・経済圏」形成表明、などが考慮された。名称の簡潔性も重視された。「日本ユーラシア協会」を日本ロシア協会、日本ウクライナ協会等々の連合体に するという構想もあったが、その後協会内に各国別交流委員会を組織することとなる。ユーラシア地域に存在する民族・国家は旧ソ連だけではない。しかし、「日ソ協会の改称」という当面の 課題で直接対象となるのは、旧ソ連構成諸国の国民であった。 名称変更のさい、「ユーラシア協会総会」という全国名称の協会の都道府県連が、それぞれの交流の歴史的実態に即して独自の地域名称をもちうることも承認された。(中略) 1993年の第37回総会は、「日本ユーラシア協会」という名称を冠した最初の総会となった。1993年度活動方針は、日本ユーラシア協会は、「人類の幸福のために人間の尊厳・民主主義・ 平和を願っているユーラシア諸国民」との友好・連帯、日本国民と「アジア・ヨーロッパ両大陸にまたがって生活と文化を形成している旧ソ連諸国民」との友好運動を「新しい段階で発展させ る」方針を確認し、すでに1992年4月以降ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、キルギス各共和国の友好団体と協力関係の基本協定を締結したこと、ひきつづき各国との「友好のネットワーク」づ くりを進めることを明らかにした。 3 フォーラム、日本文化週間の企画 ユーラシア諸国との友好関係のネットワークづくりの新しい具体的形態として登場したのは「フォーラム、日本文化週間」の組織である。 これは、普遍的な人間的な価値、人権・民主主義・平和の理念を実現するためには、直接に民衆どうしが交流する草の根の友好運動が重要であるとの観点にたって、国民と国民の間 の、地域住民と住民の間の交流について語り合う場をつくる試みで、協会としては初めての活動形態であった。開催地は、ロシアについては日本に最も近い極東地域から、そうしてロシア以外 では北東アジアに近い中央アジアの国からはじめるという構想で計画が進められた。 日ロフォーラムの出発点は、1993年にロ日協会との共催で行われた「ハバロフスク・フォーラム及びウラジオストーク平和の波集会」で、その後、両国の地域間交流のネットワークづくりの目的 も合わせて、日ロフォーラムとしてロシア、日本各地で定期的に開催されることになる。そして、2003年には、日ロフォーラムはウラル山脈を西へこえた地域で開催された。 フォーラム形態での対話と相互理解は、その後ユーラシア諸国(当面旧ソ連諸国)全体に呼びかける「ユーラシアフォーラム」構想に発展し、2002年に第1回ユーラシアフォーラムが開催され た。「21世紀における新しい文化創造とユーラシア諸国民の草の根交流の発展」をテーマとして、9月15日〜16日に京都の立命館大学で開催され、海外から10ヵ国(ほかに文書発言3ヵ国) 13国際団体30名、国内から120名の各地代表が参加、人権・民主主義・平和の理念にたつ21世紀の国際友好運動の意義で基本合意を得、「京都アピール」を採択・発信することができ た。このことによりユーラシア諸国の国際友好団体・社会団体との絆をより一層強め、提携ネットワークを強固なものにすることができた。平和と共生の文化創造を訴えたこのアピールを内外の 団体・個人に広く普及し、ユーラシア諸国の市民および地球のすべての人々にこの友好運動に参加するよう呼びかけた。 (※日ロフォーラム、ユーラシアフォーラムの開催状況については、日本ユーラシア協会東京都連ホームページ内の「フォーラム」欄をご参照ください。) |