元ソ連スパイが見た原爆 投下直後、米より先に広島・長崎へ <朝日新聞 2014年11月11日> | 14/11 #14-20 |
(核と人類取材センター・副島英樹) |
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天使のピアノによるコンサート (都連広報部報告) | 14/11 #14-19 |
11月9日(日)滝乃川学園・聖三一礼拝堂(国立市谷保)にて「天使のピアノによるコンサート」が開かれた。コンサートで使用されたのが、現存する日本最古のアップライトピアノで話題を呼んだ。鍵盤の上に2人の幼児を抱いた天使が描かれていることがその名の由来である。当日は、激動の時代を乗り越えてきたピアノが妙なる調べを演出してくれた。 出演は、平岡貴子(ソプラノ・都連城東支部会員)・岡野屋正男(テノール)・高橋裕希子(ピアノ)の各氏。披露された曲目は、愛の夢(リスト)・メリーウイドーワルツ(レハール)・天使の糧(フランク)・アヴェマリア(カッチーニ)・初恋(越谷達之助)など。 歌唱の見事さもさることながら「天使のピアノ」のやわらかで繊細な音色の演奏に満場の聴衆は大きな感銘を受けた。 ※『天使のピアノは、横浜でピアノの輸入・加工・販売をしていて、わが国におけるピアノ普及のパイオニア的存在だったドイツ人技術者、デーリングの商会が1884(明治17)年から89(明治22)にかけて販売したものの一つで、国内最古級、しかも、これまで記録でしか知ることのできなかった「幻のピアノ」で、ピアノ文化史上たいへん貴重なものであることがわかった。』(出典:天使のピアノ 石井筆子の生涯) |
日本中古車、華麗な転身 ロシア極東、ドリフト人気 <朝日新聞・夕刊2014年10月8日> | 14/11 #14-18 |
シルビア、マーク2、スープラ……。懐かしい日本の中古車が、ロシアのモータースポーツで活躍している。フィギュアスケートのように、走りの華麗さを競う「ドリフト」で、手頃な価格と運転のしやすさが人気の秘密だ。 |
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(世界発2014)ダイヤ、極寒の地に輝け 冬は零下60度、ロシア極東・サハ <朝日新聞2014年10月8日> | 14/10 #14-17 |
美しい輝きで人々を魅了するダイヤモンド。世界有数の産地であるロシア極東のサハ共和国が、毎年夏の終わりに国内外の観光客や宝飾業者らを集めた「ダイヤモンド週間」を開いている。工夫をこらして世界有数のイベントを目指す背景には、極寒の土地で経済を発展させる難しさがある。 |
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日本とロシアの「音楽の懸け橋」コンサート 報告 | 14/09 #14-16 |
9月23日(火・祝)高崎市民文化会館で行われた、日本とロシアの「音楽の懸け橋」コンサートに出演致しました。 このコンサートは、群馬交響楽団首席チェロ奏者レオニード・グルチンさんとピアニストのユリヤ・レヴさんが主催し、群馬交響楽団のメンバーや日本人歌手、バラライカ奏者のマキシムさんら20人以上の音楽仲間が出演しました。 私は、イッポリートフ=イワノフ作曲の「5つの日本の歌」を演奏しました。 この曲は、日本の和歌(古今和歌集)をロシア語に翻訳し、それに韻をふみ作曲された作品です。全曲でも15分足らずの短い曲ですが、四季折々の自然や日出ずる国日本へのロマンなどが随所に感じられるとても美しい曲です。 機会があればぜひ皆さまにお聴かせしたい秀逸なロシア・ロマンスです! ソプラノ歌手 平岡貴子 |
「2014ワールド・ミュージック・フェスタin日本橋」大盛会に終わる | 14/08 #14-15 |
8月30日(土)夕刻、2014ワールド・ミュージック・フェスタin日本橋が行われた。 これは平素、東日本大震災復興支援コンサートを行っている山口蘭子、平岡貴子、マクシム・クリコフの3氏が意気投合して合同出演したもの。歌の力で東北に愛を!みんなの力で国を超えた友情を!と東京23区東部地域の在住在勤者を中心に参加を呼びかけたところ、会場満杯の約200名の参加が得られた。 今コンサートでは、実験的試みながら3グループによるロシア民謡・舞踊、ロシアロマンス・日本歌曲・ラテン・タンゴ・シャンソン・ジャズ・オリジナル曲が満喫できた。まさに夢のコラボレーション、使用言語はロシア語・日本語・スペイン語・フランス語・英語で文字通りグローバル。各アーティストのファンが一堂に会してのワールド・ミュージック・フェスタの名にふさわしい異文化交流体験ができた。フィナーレでは会場と舞台が一体となって東日本大震災復興ソング「花は咲く」を合唱。心が一つになった。 「世界各国の歌を居ながらにして聴ける、贅沢な時間を過ごせて本当楽しかった。もっと多くの人に聴かせたかった。定例開催にしてほしい。震災復興支援は賛同できるこれからも頑張ってもらいたい。」等の感想も多数寄せられ、今後の励みとなった。 |
シビトウ−ニャ第四回コンサート終わる | 14/06 #14-14 |
2014年6月8日(日)シビトウ−ニャ第四回コンサートが中央区八重洲で行われた。今回のテーマは「ロシアの6月〜白夜」。第1部「白夜の6月に…」では、チャイコフスキー、ケナン、ショパン、グラズノフ、オッフェンバック、ブラソフの作品がタイトルに即して紹介された。 |
(世界発2014)名劇場の陰、抑留の歴史 ウズベキスタン、保存へ改修 <朝日新聞2014年5月30日> | 14/05 #14-13 |
中央アジアのウズベキスタンで、第2次世界大戦後に日本人抑留者も加わって建てられたバレエ劇場の大改修が進んでいる。国を代表する劇場を後世に残そうとの試みで、今秋にも完了する予定だ。劇場建設の歴史を振り返ると、歴史に埋もれた日本人抑留者の貢献が浮かび上がる。 ■「日本人貢献」プレートに ■絶望に耐え2年半「日劇に匹敵」 ■推定900人が死亡 建設・炭鉱・農業に従事 |
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(海外通信)@モスクワ シューホフのラジオ塔 双曲面が続くモダンタワー <朝日新聞2014年5月28日(夕刊)> | 14/05 #14-12 |
ロシア・モスクワ南部の労働者住宅街に不思議な塔が立っている。天からつるされた魚籠(びく)のような網状のタワーである。東京タワーにせよパリのエッフェル塔にせよ、大きな骨と小さな骨から出来ている普通のタワーは、下から見上げると鉄骨が重なって見えて鉄のかたまりだが、小骨のみの双曲面の連続からなるこのタワーは、視線がふさがれることなく、空気が柱状にくりぬかれて立っているという趣なのだ。 (八束はじめ 建築家・建築批評家) |
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若田光一さんを追いかけて | 14/05 #14-11 |
日本人初の国際宇宙ステーション船長をつとめた若田光一さんが地球に帰ってくる------。宇宙船の着陸地点はカザフスタン。どんなところなのでしょうか? 若田さんを追いかけて2人の記者が旅立ちました。朝日新聞(夕刊)14年05年17日 |
「ユーラシアビュー EURASIA View 2014 SPRING vol.93」 に、ユリア・ピヒティナさんの記事が掲載されました。 | 14/05 #14-10 |
都連でおなじみの歌手ユリア・ピヒティナさん筆による大変興味ぶかい記事が紹介されている。作家ブルガーコフのファンは日本に多いが、ユリアさんはその演劇「巨匠とマルガリータ」にも出演していた。ぜひご一読を! |
(左)ユーラシアビュー表紙、(中央)ユリアさん記事、(右)ドラニキ |
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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2014 オープンプログラムに「ガルモーシカ」Garmoshkaが出演 | 14/05 #14-09 |
5月3日(土・祝)11:40〜12:00 東京国際フォーラム地上広場キオスクコンサートにてラフォルジュルネ2014 オープンプログラムが行われ、そのトップバッターにロシア民族音楽アンサンブルGarmoshka「ガルモーシカ」が素晴らしいライブを行った。 ガルモーシカ主宰者はマクシム・クリコフ氏(都連会員)。氏はやや緊張気味ながらも流暢な日本語で聴衆に挨拶をして、グループ諸氏を紹介。抜群の歌唱力を誇るユリア・ピヒティナさん(都連でコンサートを行った)が次々に日本人なじみのロシア歌曲を歌いあげ、名伴奏のなか、民族舞踊も交えたロシア文化紹介のプログラムは大成功を収めた。 レストラン「ミンスクの台所」支配人ビクトリアさんも応援に駆け付け、「ブラボー」連発。聴衆300人も手拍子よろしく、観客参加型のイベントをみんなで創り上げてくれた。 まさに「ハラショー」(素晴らしい)だ。 |
キャパ、メーデー取材中60年前 朝日新聞(夕刊)14/05/02 | 14/05 #14-08 |
60年前に東京の明治神宮外苑であったメーデーの集会を、米国の写真家ロバート・キャパが取材していた。その時にキャパを写した写真が、神奈川県鎌倉市の個人宅に残されていた。日本で取材中のキャパを写した写真は珍しく、軽装でカメラを手にしている。 朝日新聞デジタル:http://www.asahi.com/articles/ASG514FKLG51UKJH004.html |
チェルノブイリ28周年救援キャンペーン 講演会「チェルノブイリと福島」 都連広報部参加報告 | 14/04 #14-07 |
2014年4月24日文京シビック小ホールにて標記講演会が行われた。会場には、フォトジャーナリスト、原発問題研究者、チェルノブイリ原発事故研究者など300名が参集した。 恒例となった本行事に、今回はウクライナからシメオカヤ・インナさんが駆けてくれた。キエフで1981年生まれたインナさんは、4歳でチェルノブイリ原発事故により被曝。13歳で甲状腺ガン手術を受ける。結婚後、妊娠がわかったとき出産をあきらめるよう医師の所見があったが、長女を2008年出産。さらに2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発事故に衝撃を受けて「未来の福島こども基金」を通じて日本の人々へのメッセージを届けるべく来日された。 続いて、フォトジャーナリストの広河隆一氏による3年ぶりのチェルノブイリ取材報告が行われた。現地の生々しい被害の実相が写真とともに語られた。チェルノブイリ原発事故後に生まれた子どもたちに甲状腺ガンなどを発病しているレポートが行われた。既に福島の子どもたちにも甲状腺ガン発症が見受けられ、現時点に於いても汚染地域から移住もできない人々がいることも座視できない。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という日本の国民性は本当に改めなければならない。なぜなら、日本は世界唯一の原子爆弾を落とされた国なのだから。 (主催:チェルノブイリ子ども基金/チェルノブイリ子ども基金・文京/未来の福島こども基金) |
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チェルノブイリから28年、ベラルーシの経験とドイツの市民活動 14.4.15-19 「今をみつめ、これからを語る チェルノブイリからドイツ、そして福島へつなげる声」(国際環境NGO FoE Japan主催)イベント参加報告 | 14/04 #14-06 |
チェルノブイリ原発事故から28年、福島第一原発事故から3年目の今年4月、ドイツとベラルーシから、チェルノブイリの子どもたちの支援や環境問題、エネルギー問題に携わる市民12 名が来日。13日〜20日まで、広島、東京、福島を訪問し震災・原発事故を経験した日本の現状の視察とともに、経験共有・交流活動が行われた。19日東京では「今をみつめ、これからを語る チェルノブイリからドイツ、そして福島へつなげる声」と題する催しが行われ協会都連広報部が取材した。(会場:東京・港区) 第1部では「ベラルーシと福島で起きたこと、今起きていること」をテーマに、チェルノブイリ原発事故を経験したリュドミラ・マルシュケヴィッチ(ベラルーシ)さん、マリア・ブラトコフスカヤ(同)さんから当時の経験とその後の支援活動、本国の子どもたちの現状報告などがあった。他のメンバーからも療養体験や市民活動などの解説があった。 ドイツ側参加者からは「市民力」「政治的(法律)の枠組み」「経済のイノベーション(原発にかわるもの)」を柱に100パーセント再生可能エネルギーを目指したエネルギーシフトに関する報告があった。 第2部、3部はパネルトーク形式で「今をみつめる」「日独ベラルーシ若者の視点」とそれぞれ題し、若者たちの視点から支援活動の内容や思い、これからのエネルギー政策についてをテーマに活発な討論がかわされた。 こうした中で、原発による被害者を癒し、過ちを繰り返さないよう活動の輪を広げるために、この問題について「話し続ける」「議論し続ける」「市民が協力しあう」「決して目をそむけない」「あきらめない」こと、ひとり一人が国のかけはしとなっていく活動を続けることを発言に立った皆が訴えた。 進行をつとめた鎌仲ひとみ氏(映像作家)は、豊富な現場取材経験から現場の不遇な状況を訴えると同時に、議論の後にアクションを起こすことを提起し満場の聴衆の共感を得た。 鎌仲ひとみ氏の主な作品には、2003年ドキュメンタリー映画「ヒバクシャー世界の終わりに」、2006年「六ヶ所村ラプソディー」、2010年「ミツバチの羽音と地球の回転」、2012年DVD「内部被ばくを生き抜く」、2014年現在、「小さき声のカノン−選択する人々」を撮影中、等々があり、いずれも好評を博している。 プログラム最後にはマリアさんによるベラルーシ民謡の発表もありこの催しに花を添え、参加者のおしみない拍手を浴びた。 |
映像文化研究会から近況報告 14/03 | 14/03#14-05 |
「101年目のロバート・キャパ 誰もがボブに憧れた」 2014年3月22日〜 5月11日 20世紀を代表する報道写真家のひとりとして、「ロバート・キャパ」(本名アンドレ・フリードマン)ははずせない。時代を駆けめぐった彼は、スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、第一次インドシナ戦争と激戦地を取材先に選び、世の人々に多くの真実を送り届けた。そうしたなか、第一次インドシナ戦争の撮影中地雷に触れ、40年の生涯を閉じた。 ちなみに「ロバート・キャパ」と銘打たれた初期の作品群は、実際には、親しくしていたゲルダ・タローとの共同作業によるもの。 現在、生誕101年目を記念して、東京都写真美術館(東京・渋谷区)で標記写真展が開催されている。はじめて彼の作品を見る人は、時代を映し出したその魅力にとりつかれる。その一方、こうした悲劇的な写真を撮らなければならない日が来なくなることを願わずにはいられない。 https://syabi.com/contents/exhibition/index-2149.html |
陸軍登戸研究所について 登戸研究所(正式名称、第九陸軍技術研究所)とは、戦前、旧日本陸軍が秘密戦兵器・資材を研究・開発するために開設した研究所。外部に秘匿のため「登戸研究所」とよばれていた。 その研究・開発は、殺人光線、毒物・爆薬の開発、風船爆弾のほか、中野学校(スパイ養成所)と手を組んでの偽札製造など、多岐にわたっていた。 登研は、アジア・太平洋戦争の秘密戦中核を担い、軍から重視された研究所であったが、終戦とともに閉鎖。1950年代に登研跡地の一部を明治大学が購入し、現在の明治大学生田キャンパスの敷地に収まっている。 敗戦の日、証拠隠滅命令が下され、焼き尽くし、破壊し、あるいは湖や海に沈めたが、主たる研究成果と技術者は、終戦直後、アメリカに引き渡されることを条件に、東京裁判でも審判対象とされることはなかった。 ここで働いていた人たちにも、強い守秘義務はあったが、1980年代ころより、口にするようになり、本に書いたりし、その全貌が明らかになってきた。 そして、書籍「陸軍登戸研究所の真実」(著:伴繁雄)と、この本をきっかけに、当時を知る生存者が少ない中、証言者を訪ね歩いて製作された映画「陸軍登戸研究所」(監督、楠山忠之)が話題を呼んでいる。 現在、研究所跡地には「明治大学平和教育登戸研究所資料館」が存在する。もちろん「登戸研究所遺跡」の保存を訴える人々もいる。 戦後69年が経ち、戦争を知らない世代が大半を占め、その痛みも風化しつつあるかに見受けられる。こうしたなかで、歴史の事実を直視するとともに、過去の隠された真実を葬ってはならいことを私たちはこの映画から学びたい。 映画会当日は、監督、楠山忠之氏の舞台挨拶ももたれ、氏は「一人でも多くの人にこの映画を観ていただきたい」と呼びかけた。こうして観衆一同が、現代史に光りをあてることの重みを再確認できた日となった。 |
アンサンブルテラのてらこんさあと4 名曲「マザーグース」を歌う 鑑賞報告 14/02/11 14:00〜16:30 | 14/02 #14-04 |
てらこんさあと4が稲城市立i(あい)プラザホールで開かれた。“TERRA”は大地・宇宙・大きな存在を表し、音楽家・寺島尚彦氏の“てら”でもある。 アンサンブルテラは、12名の男声コーラスグループ。当日は、「谷川の世界」「テラによるマザーグースの世界」「アンサンブルてらの世界」の3部構成により、谷川俊太郎作詩、寺島尚彦作曲による名曲の数々を、江川真理子編曲・ピアノ、橘光一・電子オルガン、浜川慎司・フルートの伴奏によって歌い上げた。 とりわけ、「さとうきび畑」ほか4曲の寺島尚彦作詩・作曲作品も披露された第3部では、満場の熱い喝采を浴びた。 テラのメンバーには合唱団白樺の関係者の顔もあり、日本ユーラシア協会都連ともつながりのあるカリーヌシカのメンバーとも協力関係にある。協会都連としては、言うまでもなく、アンサンブルテラと今後とも連携していきたい。 |
朝日新聞 「ウオツカの飲み過ぎ短命のもと」 ロシアの15万人を英の大学など調査 14/02/02 | 14/02 #14-03 |
ウオツカの飲み過ぎがロシア人男性の早死にの原因になっていることが、約15万人の調査で裏付けられた。英オックスフォード大やロシアがん研究センターなどが1月31日、英医学誌ランセットに発表した。 ロシア3都市の計15万人を約10年間追跡したところ、ウオツカを週3本(1本500ミリリットル)以上飲む男性の場合、既往歴がなくても35〜54歳で死亡する割合が35%となり、週1本未満の場合の16%とは大きな差が出た。 8割以上の死因が、肝臓やのどのがんなど飲酒と強い関連を持つ病気か、自殺や事故、暴力など。ウオツカを週3本以上飲む男性の9割は喫煙者でもあり、飲酒と喫煙が寿命を縮めているらしい。研究チームでは「歴史的にみて、ロシア人の死亡率はウオツカの規制とともに変動してきたという関連性が裏付けられた」と話している。 世界保健機関(WHO)によると、ロシア人男性の平均寿命は63歳で、開発途上国並みの水準。15〜54歳での男性死亡率が25%に上り、1割未満の英国とは差がある。15〜54歳の男怪死亡率は、ウオツカの生産・販売が規制された1985年から数年間下がったが、ソ連崩壊(91年)の前後に急上昇。2000年代後半から再び下がっているという。 (ワシントン=行方史郎) 儕DF |
14/01 #14-02 |
ユーラシア・フォトクラブから活動報告 今日世界で最も注目される写真家の一人「ジョセフ・クーデルカ」(1938年チェコスロヴァキア生まれ)の回顧展が国立近代美術館(東京・千代田区)で開催された(13年11月6日〜14年1月13日まで)。アジア初である。 一躍彼の名前が知られるようになったのは、1968年ソ連軍のプラハ侵攻(プラハの春)を撮影した記録を西側に発表したことによる。その写真は匿名ではあったが、それを契機に1970年祖国を離れている。言うまでもなく、命をかけた記録から伺える、真実とそこからみえる市民の怒り、その迫力には息をのむ。この作品群はまさに歴史遺産といえよう。 写真集「侵攻」(1968年)はオススメの一品である。 1978年には優れた写真家に贈られるナダール賞、またアンリ・カルティエ= ブレッソン賞(1991年)、ハッセルブラッド国際写真賞(1992年)など多くの写真賞を受賞しているほか、フランス芸術文化勲章(1992年シェヴァリエ、2002年オフィシエ)、チェコ共和国功労章(2002年)を授与されている。 本展では、放浪の民の生と死を見つめ続けた「ジプシーズ」(1962-1970年)、亡命後にヨーロッパ各地で撮影された「エグザイルズ」(1970-1994年)、パノラマ・フォーマットの作品による「カオス」(1986-2012年)など、代表作約300点も並んだ。 わがフォトクラブ員も大いに触発された。 |
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朝日新聞(いいね!世界イチ?) 美人大国、歴史あり | 14/01 #14-01 |
■89.5%―ウクライナ女性「美しい」の割合、キエフの中心街で女性19人に質問 ■モデル発掘 結婚仲介盛ん 儕DF / 剪ゥ日デジタル http://www.asahi.com/articles/DA2S10902426.html |
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■記者のいいね!ポイント 「美しさ」の基準は人それぞれなのは言うまでもない。それでも世界で最も美女が多いと言われる国に足を踏み入れてみたかった。 取材で見えてきたことがある。ウクライナとコロンビアの女性の共通点は、外見もさることながら、その親しみやすい性格。話しかければ誰もがにこやかに、丁寧に応じてくれる。謙虚で人なつっこい微笑は、整った目鼻よりもはるかに心をくすぐる。両国の女性たちは「心・技・体」がそろった美人大国の横綱の貫禄が備わっていたように思う。 かくいう我々、日本男児はどうか。次は「イケメン大国」を探ってみたい。 |
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