コラム2015

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(地球異変)極北、大地に謎の穴    <朝日新聞  2015年7月19日>
15/07 #15-06


それはまるで、地球の表面にぱっくりと開いた口のように見えた。
先住民族ネネツ人の言葉で「世界の果て」を意味するロシア・西シベリアのヤマル地方。8日、高度100メートルを飛ぶヘリコプターから見下ろすと、地平線まで広がるツンドラの平原に、月面のクレーターのような巨大な穴が現れた。ロシアメディア以外では最初の現地取材だ。
輸送用ヘリの操縦士が2014年6月、初めて見つけた。最寄りの拠点となる街から約400キロ離れ、トナカイ遊牧民がわずかに行き交う北極圏にある。
地元政府の緊急要請でロシアの科学者が調査を始めた。穴は直径約37メートル、深さ約75メートルあった。その後、同様の穴の報告が相次ぎ、4個が確かめられている。
では、穴はどのようにして生まれたのか。隕石(いんせき)の衝突、不発弾の爆発、宇宙人の襲来――。出来た瞬間を見た者はおらず、さまざまな臆測がされた。
真冬には気温が零下40度まで下がる厳寒の地。地中には永久凍土が数百メートルの厚さで広がっている。メタンが多く含まれ、近くには世界有数の天然ガス田もある。研究者の間では「永久凍土が溶け、メタンガスの圧力が地中で高まって爆発した」との説が有力だ。
ロシア科学アカデミー石油ガス調査研究所のワシリー・ボゴヤブレンスキー教授は「ここのところの異常に高い気温の影響を受けた可能性がある」と話す。将来地球温暖化が進み、凍土全体から、温室効果の高いメタンの大量放出が始まれば、さらに温暖化を加速させかねない。

(サレハルド〈ロシア〉=野瀬輝彦)

〈+d〉デジタル版に動画

シベリアに謎のクレーター出現 メタン放出を恐れる学者

■「見ろ、永久凍土が溶けている」

ヤマロ・ネネツ自治管区の区都サレハルドから北へ約4時間。記者を乗せた大型ヘリのミル8は、ヤマル半島中西部のツンドラに爆音を立てて着陸した。
この季節、一帯はぬかるんだ湿地だ。大量の蚊を振り払いながら、ひざほどの高さの北極ヤナギをかき分けて歩く。地面がめくれ上がったような高さ3〜4メートルの斜面を登ると、目指す巨大な穴が見えた。怖々と底をのぞき込むと、切り立った壁の下に薄茶色の水がたまっている。
壁面の一部が崩れ、波が打ち寄せるような大きな音が響いた。同行したロシア科学アカデミー石油ガス調査研究所のワシリー・ボゴヤブレンスキー教授が声をあげた。「見ろ、永久凍土が溶けている」
気温は8度。日光にさらされた凍土は次々溶けていく。発見当初、穴の底は見えなかったというが、この日の水面は、地表から12メートル。早ければ9月中に水で満たされるという。
周囲を歩くと、いたるところに、他の場所から飛んできたような白い土の塊があった。穴の外周から約100メートル先にも異質な土の塊が見つかっている。
取材に同行した地元の環境保護団体・北極開発センターのウラジーミル・プシカリョフ所長(42)は昨年11月、調査のため、氷に覆われた穴の底まで降りた。「風は入らず、静かで神秘的な場所だった。地球には、まだ人類の知らない世界がある」と振り返る。
ヘリには、ロシアのテレビ局3社の記者も同乗した。モスクワのニュース専門チャンネル・ロシアトゥデーのビタリー・ブズエフ氏は「多くのロシア人が注視している。こんな奇妙な現象は見たことがないからだ」と話した。
ロシア科学アカデミー地球雪氷圏研究所のマリーナ・レイブマン首席研究者による衛星写真の分析では、この穴は2013年10月から11月の間に出来た。
その前年の年間平均気温は零下4・1度。前後数年より最大約4度高く、雨も多かった。この熱と雨が1年かけて地中に伝わり、永久凍土中に閉じ込められていたメタンガスが地中で発生。行き場を求めたガスが閉鎖空間にたまり、次第に圧力が上昇。当初は周囲の土で抑えられていたが、さらにガスが増え圧力が増し、ある時点で周囲の土を吹き飛ばしたとみる。
昨夏の調査では、穴の中のメタンガス濃度は9・8%あった。濃度5%を超えると爆発の恐れがあるとされる。穴から遠ざかるほど濃度は低下したという。
発見当初、永久凍土中に所々ある巨大な氷の塊が溶けて陥没した、との見方もあった。だが、周囲に爆発で吹き飛んだと見られる土があった。隕石(いんせき)の衝突なら検出される放射線量の異常はなく、何かが燃えた痕跡も見つかっていない。
レイブマン氏は、穴が出来た際と同様の気象条件になれば、同様の爆発が相次ぐ可能性があるとして「人類にとってのリスクだ。調査と分析を進める必要がある」と訴える。
不安を覚える住民も出てきた。メタンガスを含む永久凍土はヤマル半島の全域にあり、どこで爆発が起きるかわからないからだ。半島内にはトナカイ遊牧民が暮らすほか、天然ガスのパイプラインや鉄道がある。
サレハルドの博物館で働くクラウディア・タイシナさん(31)は少数民族のネネツ人。「爆発があった場所はトナカイを育てる大切な牧草地。もし穴が次々出来れば、遊牧民はどうなってしまうのだろう」
ヤマロ・ネネツ自治管区のアレクサンドル・マジャロフ副知事は9日、地元で記者会見を開催。住居などを建てる際、地下のガス調査を義務づける方針を明らかにし、「住民被害を防ぎたい」と語った。

■温室効果、CO2の25倍

永久凍土はシベリアだけでなく、カナダやアラスカなど、北半球の大陸表面の24%に存在する。夏に溶ける「活動層」の下にあり、地域によって数十メートルから500メートル以上の厚さがある。
温暖化による極地の気温上昇は、世界平均の2倍の速さで進むとされる。国連環境計画(UNEP)が2012年にまとめた報告書によると、今から2100年までに全地球の気温が3度上がれば北極では6度上昇し、地表付近の永久凍土の30〜85%が失われる可能性がある。
特に心配されているのが、温室効果ガスの大量放出だ。全世界の永久凍土にあるメタンや二酸化炭素CO2の炭素量は、現在の大気に含まれる量の2倍。メタンの温室効果はCO2の25倍ある。どれほどの影響がでるのか、専門家でもまだ見通せていない。
シベリアを中心とする北極圏の温暖化について詳しい名古屋大学地球水循環研究センターの檜山哲哉教授は「永久凍土の融解が進めば温暖化は加速し、大地や植物だけでなく人間社会にも大きな影響を及ぼす。100年後、1千年後を見通すための研究が必要だ」と話す。

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(左)ロシア・ヤマル半島に出現したクレーターのような巨大な穴=8日、時津剛撮影
(右)それはまるで、地球の表面にぱっくりと開いた口のように見えた。
ロシア・ヤマル半島に出現したクレーターのような巨大な穴=8日、時津剛撮影
それはまるで、地球の表面にぱっくりと開いた口のように見えた。

(宇宙がっこう)アメリカでも「太陽光ヨット」 的川泰宣    <朝日新聞  2015年5月16日>
15/06 #15-05

  ロシアの高校教師だったコンスタンチン・ツィオルコフスキーが、ロケット無しでも、太陽光を推進力に変えることで、燃料ゼロで宇宙を航行できる「太陽光ヨット」を構想したのは約百年前。彼は、ニュートンの運動力学をもとに、ロケットを使えば、宇宙飛行ができることを初めて提唱した人物としても、有名です。
  彼が提唱したうち、ロケットの方は、20世紀に人類の活動領域を宇宙へ広げる強力な輸送手段に発展しましたが、太陽光ヨットの方は、宇宙で太陽の光を跳ね返せる丈夫で軽い材料がなかったため、長らく幻のままでした。
  素材の開発が進み、具現化に成功したのは、日本の若手技術者たちでした。2010年5月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、「イカロス」を打ち上げ、宇宙で広げた帆に太陽光を受けると加速できることを実証し、精密な方向制御をやってみせ、金星へのフライバイ(接近通過)も行いました。人類は太陽光だけで太陽系を自在に飛ぶ技術を手に入れたのです。
  そのイカロスに続く太陽光ヨットが5月20日、米国にある世界最大の民間宇宙団体「惑星協会」によって打ち上げられます。「ライトセイル」と名付けた1号機を、アトラスVロケットに搭載して大気圏外へ運ぶ予定です。
  実は同協会は、イカロスよりも前に2度、ロシアのロケットを使って、太陽光ヨットを打ち上げました。しかし、ロケットの不調が原因で、ヨットの帆を開く段階までいけなかったのです。
  再び挑戦する機体は、帆に特殊な薄いフィルムを使っています。三角形の帆を4枚組み合わせて、正方形の大きな帆に仕上げました。今回、帆の展開に成功したら、来年4月に2号機を、米国・スペースX社のファルコンロケットで宇宙に運ぶ予定です。
  同協会のプロジェクトは、イカロスが実証した、太陽光ヨットの技術を、さらに有望な宇宙飛行の手段に発展させるための重要なステップだと期待されています。

 (的川泰宣・JAXA名誉教授)

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太陽光ヨット「ライトセイル」の想像図=惑星協会(米国)提供
太陽光ヨット「ライトセイル」の想像図=惑星協会(米国)提供

今こそチェーホフ)手詰まり感「つぶやき」に反映      <朝日新聞  2015年5月11日>
15/05 #15-04

約百年前のロシアで書かれた静かな悲喜劇。揺らぐ時代を生きる私たちの姿が重なる。
 チェーホフの芝居の人物たちは、本当によくしゃべる。 「桜の園」(1904年初演)では、領地の競売が迫る中、地主と屋敷の人々はそれを防ぐ行動を起こすこともなく、追憶にふけり、うわさ話を繰り広げる。
 彼らのセリフは対話というより「つぶやき」だ、とロシア文学研究者の浦雅春さん。「誰かに『分かってほしい』と思いつつも、自分でも言語化できていない。責任を持って応えることもできない。だから話はかみ合わないのです」
 モスクワへの帰郷を夢見る姉妹を描く「三人姉妹」(01年初演)で、一家の長男アンドレイは、相手が言葉を認識することも求めない。耳の遠い老人に人生の悩みを打ち明け、一言。「お前の耳がちゃんと聞こえるんだったら、ぼくは話なんかしやしないさ」
 問題に気づきながらも解決方法を見つけられず、決断できない。コミュニケーションの不成立。浦さんは「手詰まりの状態にいる、今の我々に似ていないでしょうか」。
 チェーホフがデビューしたのは、トルストイらロシア文学界の巨匠が一線を退いた1880年代。この頃、社会も大きな変革の時を迎えていた。急速な近代化、知識人による農民啓蒙(けいもう)運動の挫折。「『大きな物語』が崩壊し、光明が見えない」時代の雰囲気が、彼の芝居の語るべき言葉を持たない人々に反映されていると、浦さんはみる。
 もう一つ、作品に大きな影響を与えたのが1890年のサハリン旅行だ。そこは囚人の流刑地。浦さんは「地獄」が日常としてある現実を前にチェーホフは「『世界の中心』がモスクワだけでないことに気づいた」とみる。
 以降、最晩年に書かれた「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」の4大戯曲では、視点は主人公の一つの「物語」に収斂(しゅうれん)されることなく、拡散していく。
 チェーホフは、日本でシェークスピアと並び上演の多い外国の劇作家だ。特に4大戯曲はここ四半世紀ほどの間、翻案や様々な演出により、繰り返し見直されてきた。
 劇作家・演出家の宮沢章夫さんは「チェーホフが戯曲に込めた、時代が大きく変わる予兆の持つ爆発的なエネルギーが普遍性をもたらした」。
 例えば「三人姉妹」には、「戦火」の予感を感じるという。それは軍人が多く登場するからというだけではない。
 当初、姉妹に馬鹿にされていた娘ナターシャはアンドレイと結婚。姉妹と夫の生活を支配し、召使たちを怒鳴りつける女主人へと変身する。誰も彼女を止められない。「今の日本は圧倒的な力に弱いと思う。日本中がアンドレイのようなもの」と宮沢さん。「日本の戦前を考えると、ある時を境に価値観が変わったはず。『いつの間に』という感覚が、彼女に象徴されている感じがした」と話す。
 「三人姉妹」第3幕で起きる火事は、半鐘の音で表現される。この作品に限らず、4大戯曲において事件はほとんど舞台上で起こらない。私たちは音や言葉から、舞台の外側で起きるそれを推し量る。宮沢さんは「ジャーナリスティックなものと違い、フィクションはそれを『私の問題』として想像させる力がある。これこそ、チェーホフが我々に与えてくれた大きな資産」。
 言葉にならない声の怖さ、深みに耳をすまし、人に伝える難しさを知る。それが、チェーホフを読み直す一つの意味だろう。(増田愛子)
 <足あと> 1860年、南ロシアのタガンローグ生まれ。モスクワ大医学部入学後、家計を助けようと雑誌などに寄稿を始める。87年、初の本格戯曲「イワーノフ」上演。20代で肺結核を患い、「桜の園」初演の1904年に病死。生涯で約600編の作品を残す。戯曲は17本。「プロポーズ」「熊」など一幕物のドタバタ劇も。
 <もっと学ぶ> 浦雅春さんの『チェーホフ』(岩波新書)は生涯をたどりつつ作品の深層を読み解く。『チェーホフの戦争』(ちくま文庫)は宮沢章夫さんによる4大戯曲の読み直し。記事中の戯曲は光文社古典新訳文庫所収の浦さん訳を引用。
 <かく語りき> 「世界はすばらしい、ですが、ただ一つすばらしくないものがある、それはぼくらです」(サハリンから帰還後の書簡 『チェーホフ』から)

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チェーホフ
チェーホフ

(世界発2015) トラ守れ、足跡追い2000人 ロシア極東、10年ぶり大調査  <朝日新聞  2015年4月2日>
15/04 #15-03

 ロシア極東で今年初め、10年ぶりとなる大規模なアムールトラの個体数調査が行われた。一時は乱獲による絶滅が心配されたが、足跡の数などから、頭数は増加傾向にあるとみられる。ただ、密猟や森林の違法伐採は続いており、最近の経済危機も、トラの未来に影を落としている。

■車で、スキーで 1.4万キロ
 ウラジオストクから車で約3時間。零下4度ほどの寒さの中、大型の四輪駆動車で雪の山道を進んでいたとき、突然、世界自然保護基金(WWF)ロシア・アムール支部のパベル・フォメンコさん(42)が車を止めて外に出た。
 「トラの足跡だ」。指で示した先を見ると、雪道の上に、猫のような形の足跡がくっきりと残っていた。アムールトラだ。前日の朝は雪が降ったので、その後に歩いた可能性が高い。
 フォメンコさんが定規で大きさを測ると9センチだった。大人のオスは10センチより大きいので、大人のメスのようだ。「新たに1頭が確認できた」と喜んだ。
 ロシア天然資源環境省が1月末〜2月に実施したアムールトラの個体数調査に同行した。調査にはWWFやロシア科学アカデミーなどが協力し、ハンターや保護機関職員ら約2千人が参加した。車のほか、徒歩やスキー、スノーモービルで回ることもある。調査地域はハバロフスク地方と沿海地方を中心に約14万平方キロ、調査ルートの総距離は約1万4千キロ。このような大規模調査は1996年、04年に次いで3回目となる。
 冬に調査を行うのは、雪の上に足跡が残りやすいからだ。シカやイノシシ、キツネなど多くの動物の足跡が見えた。気温が低いため、DNA鑑定用のふんの採取も容易だ。
 山の奥に向かうと次第に道が険しくなり、車が進めなくなった。車を降りて歩き始めると、近くでカラスの鳴き声がした。フォメンコさんは「トラが餌を食べているかも。近づくと危ないので、絶対に離れないように」と注意した。通常、調査では銃を持たない。いざとなれば、発炎筒で追い払うしかない。
 深さ40センチほどの雪を踏みしめながら登っていると、フォメンコさんがつぶやいた。「1週間前、ここに来たら危なかったな」。周囲を見回すと、一面にトラの足跡がある。大きさや、列の並び方などから、オスとメス、子供2頭の計4頭がいた可能性が高い。これほど多くの足跡を見るのは珍しいという。
 フォメンコさんは「餌の草食動物が多く、とてもいい環境ができている」と、満足そうな表情を見せた。

■密猟や森の違法伐採、課題
 WWFによると、ロシアはトラの全面的な保護に踏み切った最初の国だ。19世紀に極東への移民が増え、トラは人に危害を加える恐れがあるとして殺されたり、毛皮や漢方薬の材料を得るために大量に捕獲されたりした。だが、密猟や販売の取り締まりで頭数は回復しつつある。
 天然資源環境省のエレナ・サルマノバさんは「ロシア独特の自然保護区の役割も大きかった」とみる。
 特に規制が厳しいのが、調査や保護目的以外の立ち入りを禁止する「ザパベードニク」と、立ち入りはできても、狩猟や植物の採集は一切できない「ザカーズニク」だ。それぞれロシア全土に102カ所、約70カ所もある。トラは生態系の頂点にいるため、森を守り、餌となる草食動物を増やすことが大切というわけだ。
 現在のプーチン大統領も保護に熱心で、昨年4月に極東を訪れ、保護されていた3頭のトラを自然に帰した。
 ただ、WWFロシアのエフゲニー・チュバソフさんは「森林の違法伐採は大きな問題として残っている。それには、日本も関係している」と指摘する。
 例えば、広葉樹のナラの一種は年間の伐採量が許可量の2倍になるとみられ、偽造書類で中国に輸出し、家具として日本で販売されるものも多い。経済危機の影響で違法伐採が増える恐れもある。「消費国側の監視も必要だ」と指摘した。
 (ウラジオストク=中川仁樹)

 ◆キーワード
 <アムールトラ> 主にアムール川以南のロシア極東から中国東北部にかけて生息。オスの全長は3メートル前後になる。国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで、絶滅の危険性が高い「絶滅危惧種」に指定されている。19世紀前半に約千頭がいたが、1940年代に40頭程度にまで減少。2004年の大規模調査では440頭前後になったとみられ、今回は600頭を期待する声もある。

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(左)ルートの打ち合わせをするパベル・フォメンコさん(左)らの調査チーム=2月24日、ロシア極東ウラジオストク近郊、中川仁樹撮影、(中央)雪の上に続くトラの足跡=ロシア極東ウラジオストク近郊、中川仁樹撮影
(右)アムールトラを巡る状況
(世界発2015)トラ守れ、足跡追い2000人 ロシア極東、10年ぶり大調査<朝日新聞2015年4月2日>
(世界発2015)トラ守れ、足跡追い2000人 ロシア極東、10年ぶり大調査<朝日新聞2015年4月2日>
(世界発2015)トラ守れ、足跡追い2000人 ロシア極東、10年ぶり大調査<朝日新聞2015年4月2日>

日本語表記のふしぎ
15/03 #15-02

日本ユーラシア協会都連会員の野田素子さんが、協会機関紙「日本とユーラシア」3月15日号の「琥珀」欄に「日本語表記のふしぎ」というエッセイを寄稿していますので、紹介いたします。 
ここで紹介された「赤の広場コンサート」は、以下のURLから視聴できます。




 「ギョーテ(ギョエテ)とは、俺のことかとゲーテ言い」とは、よく知られた古い川柳だが、ロシア語でもギョーテと発音するので、岡本正巳先生から教わったこの川柳、忘れることはない。ゲーテさんは実際には「ゴーテ」と「グーテ」の中間ぐらいの発音だそうだが、曰本語にない発音を日本語で表記するのだから、ある程度は致し方ない。
 昔の作家たちが書いた″ソヴェート″旅行記を読むと、モスクワの表記を、モスコオとか、モスクバとしているものもある。ロシア語を習い始めた頃の先生が、モスクワの発音は、マスクヴァー、でも曰本語でこう言う人はいません、と言ったのを」思い出す。
 フィギュアのプルシェンコは、発音に近い表記なら、プリューシェンコ(あるいはブリューシチェンコ)なのだが、ここまで有名になるとあきらめるしかない。プル様と呼ぶ人もいるし。
 ロシアの男子名のウラジーミルがいっときウラジミールとされていたことが多かったが、ようやく最近は、アクセントのついたところをのばしてウラジーミルになってきた。
 日本語表記が本来の発音からとんでもなくかけ離れることがある。ロシアのバリトン歌手フボロストフスキーの、日本での公演案内や市販DVDでの表記が、ホロストフスキーとなっていて、最初は別人かと思ったほどだ。翻宇すればHvorostovskyなのだから、力タカナ表記にすれば、フボ(ヴォ)ロストフスキーですよ。フボ様ファンとしては、いらつきます。
 このフボロストフスキーがアンナ・ネトレプコと熱唱する2013年夏の「赤の広場コンサート」は、臨場感たっぷりのコンサートです。無料動画サイトで視聴可能。音楽ファンの方は必見です。

       野田素子


新聞「日本とユーラシア」2015年3月15日
〜女性リレーエッセイより抜粋〜


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事故車、余生はロシアで 新興国で人気高まる  <朝日新聞・夕刊 2015年3月4日>
15/03 #15-01

 事故で壊れたり、水没して動かなくなったりした車の輸出が伸びている。普通の中古車に比べて価格が安く、修理をすれば走れると、ロシアなど新興国で人気が高まっているからだ。資源の再利用として注目される一方、事故車であることを隠して販売する業者も後を絶たない。 事故車、余生はロシアで 新興国で人気高まる。

■中国系工場、格安工賃で修理

 薄暗い作業場の中で、中国人の従業員が、塗装が終わったばかりの車を黙々と拭いていた。
 ロシア極東ウラジオストクの自動車修理工場には、10台ほどの日本の中古車がぎっしり並んでいた。多くは車体の一部がへこみ、ヘッドライトもない。床には、ダッシュボードやドアなど内外装の自動車部品が無造作に置かれている。
 中国人の経営者は片言のロシア語で、「これらは、ロシア人の中古車販売業者が日本から輸入した事故車。修理すれば新車みたいになる」と笑った。
 シャオ・リャン社長によると、市内には同じように事故車を修理する中国系の工場が100軒以上あるという。この工場の作業員は10人ほど。給料は中国の通貨で払われ、月8千元(約15万円)。勤務は午前9時〜午前2時で、忙しければ24時間以上、続けて働くこともある。
 ロシア極東では、1980年代後半から船員が手荷物扱いで格安の中古車を日本から持ち帰ったことで日本の中古車が定着した。その後、販売競争が激しくなり、約10年前から、仕入れ値が安く、利益率の高い事故車が増えてきた。
 中古車販売業のエフゲニー・フェドトフさん(34)は2003年から事故車などの買い付けを始め、多いときで月20台を販売する。「事故車の利益は、通常の中古車に比べて5倍になることもある」と話す。
 例えば、通常の中古車の仕入れ値が約50万円なら、事故車は20万円と半額以下になることも。修理に使うのは中国製の安い部品。正規のものに比べて耐久性などの品質はやや劣るが、見栄えは変わらないという。
 しかも、修理する中国系の工場の中には、「観光ビザで不法に入国している作業員もいる」(業界関係者)と言われ、修理代は、ロシア人の工場に比べて半額程度になるという。こうして、原価の低い中古車が完成する仕組みができあがっているという。
 もっとも、ウラジオストクで販売される車のうち、事故車の占める割合ははっきりしない。多くの業者が明示しないからだ。市内の中古車市場でも、1割と言う人もいれば、8割と言う人もいる。最近の景気低迷で全体の販売台数が落ち込んでおり、事故車であることを隠して売る業者が増えている恐れがあるという。
 フェドトフさんも購入者には、事故車だと伝えない。「車の隅から隅までチェックしてもらうから問題はないよ」と強調した。

 
 ■資源の有効活用、増える輸出

 日本の中古車市場では、事故などで壊れたことがある車は人気がない。直せば使えても、保険会社や解体業者に引き取られ、解体されて、中古部品や鉄くずとして売られることも多い。
 だが、富山市の中古車輸出業者コンスタンチン・テルプゴフさんは「日本の事故車は傷みが少なく、世界で人気。修理すればまだまだ走れる」と話す。中国製などの安い部品が手に入りやすくなり、いまや世界各地で、簡単に修理ができるようにもなった。
 そこに着目したのが、事故車輸出の大手「タウ」だ。野月平(のづきだいら)啓介物流部長は「車販売店や保険会社などから引き取り、傷の程度に応じて修復可能、部品利用、素材利用に分類し、資源を有効活用したい」。
 タウによると、国内で年間、約117万台の事故車が発生し、うち約29万台が修復可能だという。タウの取り扱い台数は、2009年9月期の2万3千台から14年9月期には4万7千台に倍増。このうち8割近くは輸出されているという。いまでは、ロシアだけでなく、経済発展が著しいアフリカや中南米にも出荷しており、中継貿易の拠点であるアラブ首長国連邦(UAE)のドバイなどで修理する場合もある。
 
 ■「ワケあり」伝えないことも

 ただ問題は、ロシアなどでこうした事故車を購入した業者が、事故歴を隠して販売するケースがあることだ。小さな傷なら問題は少ないが、車体の骨格が曲がったり、水没により電気系統が傷んだりした場合には、安全性が損なわれる心配がある。
 中には、輸入関税から逃れるため、車を切断して「部品」として輸入後、再び接合し、「普通の車」として販売する業者もいるという。ロシアのある販売業者は「車体番号のプレートや登録書類を、同じ種類の車と入れ替えれば分からない」と明かした。こうした接合は車の安全性を大きく損なうため、ロシアでは禁止されている行為だ。
 消費者側は、事故車と知らずに購入してしまうことを防ぐ取り組みを加速させている。ここ数年、車の購入契約前に検査場に持ち込み、車に問題がないかを検査してもらう人が「かなり増えている」(ロシアの修理業者)という。
 (ウラジオストク=中川仁樹)

 

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(左)川崎港の集積場に並ぶ事故車。輸送中の揺れなどに備え、壊れた部分はテープで固定してある=川崎市
(右)薄暗い修理工場の中に日本から輸入した事故車や水没した車が並んでいた=2014年12月10日、ウラジオ
ストク、いずれも中川仁樹撮影
事故車、余生はロシアで 新興国で人気高まる<朝日新聞・夕刊 2015年3月4日>
事故車、余生はロシアで 新興国で人気高まる<朝日新聞・夕刊 2015年3月4日>







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