悲惨な「抑留」を再び起こさないために 日本ユーラシア協会がシンポジウム開く 日本ユーラシア協会は、ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会(以下「記録する会」)の後援で、1994年2月12日午後1時から抑留問題シンポジウムを開いた。問題提起 の講演は、高橋大造・「記録する会」代表、藤田勇・日本ユーラシア協会会長、斎藤六郎・全国抑留者補償協議会会長(以下「全抑協」)の三氏。25年ぶりの大雪の中、東京千代田 区の日本教育会館には各地から120名を越える参加者が詰めかけ、抑留問題の核心の解明、補償要求運動、捕虜問題を再び発生させないための平和のとりくみと相互理解の重要 性、墓地の管理問題、日ロ両国政府の責任と速やかなとりくみへの要求などが強調された。
問題の解明は我々の責務 民間外交の意義は重大に いまだ戦後は終わっていない 「早朝から、問い合わせの電話が鳴りっぱなしでしたよ」と、日本教育会館管理事務所職員が語る。当初、定員100名以下の会場を予定していたが開催日が迫るにつれ、協会本部には 申込みが殺到。会場変更をしたが、仮に当日が晴天で交通が円滑であったなら、入り切れないほどの数百名に及ぶ参加があったものと思われる。 シンポジウムは、村井良三氏(日本ユーラシア協会抑留問題委員会副委員長)、江口十四一氏(「記録する会」刊行委員)の司会により進められた。冒頭、栗原茂・日本ユーラシア協 会抑留問題委員会委員長が開会挨拶し、「来年は終戦50周年を迎えるが、抑留問題は未だ終了をみていない。忌まわしい戦争という歴史を共有する両国民相互の問題としてとらえるた めにも、このシンポジウウム開催は時宜にかなったものである。活発な意見交換を期待する。」と締めくくられた。
生きる原点を確認する巡礼の旅 第一講演者は、「記録する会」代表の高橋大造氏。氏は、日本ユーラシア協会機関紙「日本とユーラシア」紙連載中の「抑留問題とは何か−いま問われていること−」を敷衍する形で、 【@何故抑留されたのかその根源、A還らざる戦友たちを埋葬地に立って思う、B抑留地に鎮魂と平和友好の碑を、C抑留体験の総体を歴史にとどめること】等々、抑留問題を解明し戦 友たちの墓参を続けるのは霊が安らかであれと祈り、戦争の無惨さを問い、戦後を生きてきた者の原点を改めて確認する巡礼の旅である。それは戦後を生きる我々の果たさなければならない 責務であると呼びかけた。 第二講演者、藤田勇・日本ユーラシア協会会長は、「友好運動と抑留問題」をテーマに、【@友好運動における「相互理解」、その促進と深化の課題の共有、A戦争(第二次世界大 戦)と捕虜、B旧ソ連における日本人捕虜抑留の特殊性、C抑留問題と友好運動の課題】などを解明。PKO法による自衛隊の海外派遣が常時めざされている情勢の下で、抑留問題を 再び起こさないという真実の保障をかちとるべきであることが強調された。また、注目をひいたのは、第二次世界大戦における各国捕虜数と当時のソ連軍捕虜に関するいわゆるスターリン命令 と刑法の規定で、自軍の将兵にまで課せた過酷な取り扱いの解説があったことである。
補償要求運動の一層の発展を 若干の質疑応答をはさんでの第三講演者は、降雪による山形からの延着を余儀なくされた斎藤六郎「全抑協」会長。「補償要求運動の意義と現状」というテーマで、一貫して日本政府 に補償を要求して経過ならびに政府の対応、ソ連に労働証明発行を要請してきた経緯を、国際法との関連、アメリカ軍・イギリス軍・豪州軍・中国軍・ソ連軍との捕虜取り扱いの比較を交 えながら、今後の補償要求の展望を語られた。そして、日本のシベリア出兵で3万数千名のロシア人が死去し、全村焼き払われた村もあるなど歴史の後遺症が今日もなおロシア人の中に残 っていることを指摘し、抑留問題を取り組むうえでの相互理解の重要性、民間外交の意義と対応の大切さを訴えた。 抑留問題シンポジウムを日本ユーラシア協会が企画したのはこれが初めて。また「全抑協」で開催したのが6年前ということで、当日の参加者の熱気から、この間、抑留問題を論じる場をま さに渇望していたことがうかがわれた。 参加者からは「抑留の碑」の建立について、日本人墓地の管理問題、分裂している抑留補償運動の統一について、関東軍幹部によるソ連軍への棄兵提案の真偽について、抑留者への 政府からの金杯配給問題について、等々の質問が出され、真剣な論議が続き4時間があっという間に経過した。 最後に、高橋大造氏がまとめの感想を述べ、シンポジウムの成果を今後に生かし、全国津々浦々で抑留問題の取り組みを強めることをよびかけ、佐藤和子・日本ユーラシア協会理事長 の閉会の辞で締めくくられた。 シンポジウム終了後の懇親会では、洞谷鈴子・日本ユーラシア協会副会長の挨拶、ロシア語学者・東郷正延氏の乾杯の辞、歓談に引き続き白井久也・朝日新聞元編集委員、作家の 高杉一郎氏から挨拶が行われ、和やかな雰囲気のなかで交流が進められた。
求められる今後の視座 このシンポジウムは日本ユーラシア協会が主催し、「記録する会」が後援、「全抑協」会長が講演に加わるという試みで大きな反響を呼んだ。次期開催はいつかという声が聞こえるなど、期 待の高まりも大きい。また、石頭会、アゾフ会、シハリ会、フルムリ304会などの協力も得た。 抑留問題は太平洋戦争終結50周年を迎えるにあたって、被爆者援護法制定問題同様、一刻も疎かにできない問題であり、歴史の生き証人としての抑留体験者が無念のうちに物故 し、声なき声を失いつつある現在、日本の戦争責任を明確にするうえでも、私たちの取り組みが内外から注目されており、これからが正念場である。 日本外務省編集協力の月刊誌「外交フォーラム」2月号で前外務省アジア局長・池田維氏は、「わが国が過去の歴史を十分反省していないとの不信感が、残念ながらアジア諸国の一 部にいまだ残っている。、、、、しかしながら、わが国は戦後の困難な状況のなかから一貫して誠実に賠償などの義務を履行してきており、、、、各国政府との間での『戦後処理問題』は決着 ずみである。」と述べている。これが今、日本政府中枢のとっている態度である。 しかし、日本政府が諸国民にとっている態度はきわめて不誠実なものであり、旧日本軍による捕虜虐待問題、朝鮮などの従軍慰安婦問題、中国などの残留孤児問題等々、解決すべき 問題は山積し責任追及の波は渦をまいているのが現状である。このシンポジウムをステップにいまだ解明されていない抑留問題解決に迫っていくことは現代人の責務である。 あわせて、日本ユーラシア協会が1995年8月15日めざしてすすめようとしている「鎮魂・平和友好の碑」建立運動を広く日本各界に呼びかける所以である。
(「日本とユーラシア」紙 1994年3月1日号、久保田編集長記)
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